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2005年07月31日
淡路新撰組
淡路県民局は、平成13年4月1日から、総合事務所として、再編されて、今に至っています。
その時の、局長が、私でした。
そのときの、メンバーが、中心となって、色々な意味を込め、親睦会として、「淡路新撰組」が誕生しました。
現在は、退職者も含めて70名前後は、居るのではないでしょうか。現役は、県下各地、各部署に散在しており、まさに、情報の共有、相互連携を実践しています。
年に、一、二回の総会の、意見交換会の時は、まさにミニ県庁の懇親会になります。
継続とゆうのが、一つのキーワードです。一人ひとりの力は弱くても、手をつなぐことにより、大きな力となり、継続することで、何かが、前進します。
ちなみに、私は、幕末の新撰組が好きです。勿論、司馬遼太郎の描いた、「燃えよ剣」によるものですが。
夭折した先輩が、「門は、土方歳三タイプだな。切れそうで切れない。見た目より、ひつこい。しかし、滅びの美学だけは、余分だな。」と言われた事があります。
五稜郭の将軍職の中で、逍遥として討ち死にしたのは、土方のみ。
人に大事な事の一つに、散り際があります。心したいものです。
五稜郭
五稜郭タワーweb site
『新選組!』の続編制作が決定!(NHK)
2005年07月30日
淡路市歯科医師会
行政と歯科医師会の、懇談会がありました。
来賓には、西村衆議院議員、北浦県議会議員など、沢山が参加し、活発な議論が展開されました。
8020運動とは、80歳になっても、歯が20本あるようにしようとゆう、運動です。
一言多い門次郎は、こう言いました。
「私は、貧乏だったので、子どものころ甘いものを、食べていませんでした。ですから、今でも歯がいいのです」
確かに、二十歳を過ぎてから、歯医者さんに行ったことがありません。両親に感謝。
なお、課題が二つ。
歯科衛生士の設置と、歯科医師会の機能強化です。前向きに検討します。
2005年07月28日
来客
毎日、曜日、時間にかかわらず、沢山の人達と会っています。
人は、生まれてから亡くなるまで、どれだけの人と出合ったかで、その人の人生が決まる、とも言われています。出会いたくなかった人間もいますが、それも含めてのことでしょう。
最近、初対面の来客がありました。その人の言葉で、印象に残った言葉が有りますので、紹介します。
「貴方に、興味を持ったのは、政治家や資産家の家系ではなく、また、その選挙方法も、資金を使った組織選挙や後継者指名といった旧来の形ではなく、この地で、市民方の地域住民のみのボランテイアであったからです」
その事を理解してくれていた人が沢山居る事に、安心しました。
たくさんのボランティアの皆様に支えられました。ありがとうございます。
2005年07月26日
一宮野球部、追伸
監督の黒地先生、漢字が間違っていたら済みません、は、私の中学時代の恩師のご子息でした。
私の次女は、神戸市立伊川谷中学の出身です。女バスのキヤプテンとして頑張っていましたが、県大会で津名中学と対戦した時、チームメイトと、明日は、勝てると話していて、結果、負けでした。
門康彦、心は少年、津名中学卒業、一期生。
次女の本籍、淡路市志筑。
人類、皆、友達です。
一宮中学野球部
今日、淡路の大会で優勝し、県大会へ出場する選手が表敬訪問してくれました。
日焼けした顔に、白い歯がよく似合う、元気な少年達でした。
一応、市長として挨拶しなければならないのでしましたが、自分が少年時代に、同じような立場にあった時、このおっさん何ゆうとんね、と思っていたことを思い出しました。
全て、シャットアウト勝ちの素晴らしいチームですので、県大会で勝って、近畿大会へとエールを送りました。
神よ、一宮中野球部に、ご加護を。
淡路市立一宮中学校web site
2005年07月24日
イベント3其々の意味
1淡路市消防団結団式
五町、1918名の結団式は、しずかホールで、旧一宮のラッパ隊のリードで厳かに行われました。
最後の締めは、一斉放水。
忘れ去られようとしている、地域社会の、規律あるイベントです。
個人的には、敬礼が苦手です。
神戸新聞淡路版2005/07/25
2淡路花フォトコンテスト表彰式
個々人の努力を、参加型で盛り上げるイベントです。
審査委員長 辻文作氏の言葉を紹介します。
作品の評価の基準は
1テーマ性「動機」 2光「感動」 3構図「三次元を二次元にする」 4調子「品格」
これらを参考にするが、経験に基ずく、見たもの、感じたことが肝心である。
そして、いい生き方をした人は、いい写真が撮れるとしめくくられました。
3国営淡路明石海峡公園夏祭り
今年で二年め。去年より参加者が倍増した、地域参加、来る者は拒まずの素晴らしいイベント。
国営公園の後押しによる、未来志向の一つの試みです。
大事な事は、淡路市民が、積極的にこれから参画していく姿勢です。
暑い日曜日でしたが、其々の挨拶、有意義な一日でした。
2005年07月23日
夏祭り一ノ宮
淡路市が誕生して、初めての夏祭りが、一宮地域で開催されました。
ワイワイ祭祭ーさいさい一ノ宮です。
山田、江井、多賀、尾崎、そして郡家地区と、全て回りましたが、素晴らしいものでした。
それぞれの地区にテーマが有り、地域密着が生きていました。
淡路市にも、統一した祭りが必要ですが、伝統に根ずいたものまで、リストラする必要は無いと思います。民間なら、不必要なものは切り捨てますが、全体を代表する行政は、市民とともに生きなければなりません。
弾ける汗の中、手創りの運営に、淡路市の一つの未来を見ました。
少年野球
第13回全日本選手権大会が、佐野運動公園で開催されました。
全日本少年硬式野球連盟主催で、淡路市の後援です。小学生チーム16、中学生チーム24の大会で、3日間の大会です。
少年といっても、既にプロのスカウトから目を付けられている選手もおり、皆、真剣なプレーでした。
将来、この中から、プロで頑張る選手がいるかと思うと、いい思い出を持って帰って欲しい気持ちで一杯になりました・
始球式に、バッターとして立ち、後で、大会会長の山本一義さんから、記念のボールをいただきました。
そのボールに、人生日々、今日が始まりと、サインがありました。同感
2005年07月22日
淡路会
淡路島を出身とした会が沢山有ります。
私が参加していました、県庁淡路会、神戸淡友会、津名高校阪神支部、そして、大阪淡路会、先日、参加した東京淡路会などです。
そのほかにも、沢山有りますが、いずれもが、淡路とゆう基盤を共有していることが条件です。
東京淡路会に、東京出張のとき参加し、挨拶をしました。
早速、お便りがあり、淡路市の事をよく知っている人で、ぜひとも、五町をまとめて欲しいとありました。まずまとめる事が先決で、しがらみを切って、淡路の未来を構築して欲しいともありました。
東京の同胞のためにも、市民の目線を大事にします。
最近、この田舎の島にも、俺俺詐欺、振り込め詐欺のような、悪質な犯罪があるそうです。
地域共同体の利点を活かして、故郷を守りましょう。
2005年07月21日
風邪?
風を起こすつもりが、風邪を引いたようです。
ものを言わないで静かにしていればいいのですが、喋ると咳がでます。挨拶の時、困ってます。
唄を歌えるのが、不思議です。
嘗て、不死身かと言われた時のことを思えば、残念ながら、年齢のことを考えています。
年齢といえば、今日、淡路文化会館で開催された、高齢者の交通安全の会に出席しました。
主催者より元気な参加者に、薄暗がりにサングラス、片手運転で、携帯電話で会話しながらあげくは、煙草を吹かし、曲がり角を減速せずに突っ込んで来るギャルを先に研修するべきではと、思いました。
参加者の毅然とした挨拶は、これまで苦労して生きてきた人間の尊厳を感じました。それは、誇りの体感でした。
誇りで、ある人の言葉を想起しました。
誇り有る人間とは、嘘をつかず、物を盗まず、汗をかいて働く人間だ。市長選挙の時に、聞いた言葉でした。
2005年07月20日
闘い済んで2
市会議員選挙の事で、現職議員が逮捕されたとゆう、情報が入りました。
目視したわけではないので、真実は分かりません。
新聞、テレビでの報道もありましたから、事実であれば、残念です。
警鐘なんかとは、取りたくありません。
本人さんも知っていますから、罪を憎んで人を憎まずの観点から言えば、気の毒です。厳しい暑さの季節がこれから続きます。健康を願います。
いずれにしましても、淡路市の旅立ち、留意しなければなりません。
有事の門の出番かも。
その他、諸々。明日に向かって撃て!
2005年07月19日
叙勲祝賀会
二つの祝賀会に出席しました。
一つは、全県からの参加、一つは、地元からの参加と特色が有りました。
前者は、人脈の祭りで、後者は、仲良しの祭り。
いずれもが、楽しいものでしたが、前者が、後半に盛り上がったのに対し、後者は、初めから、エネルギ
ー全開で、唄あり議論ありの、楽しさがありました。
前者のは、静かななかに、懐かしい再会がなによりでした。
いずれにしても、人が集い、情報を交換する事が、今の淡路市にとって大事な事です。
ちなみに、会場は、どちらも、淡路ウエスティンホテルでした。
2005年07月16日
A.ランボー
久ぶりに、ランボー詩集を読み返してみました。
今から思えば、彗星のように現れた天才詩人、若くして文学を捨てさった、今日においてもなお青春そのものの象徴、などの紹介に引かれた方が、強かったのかも知れない。
地獄の季節と言う、言葉に言葉以上の付加価値を見ていたのかも知れない。
当時の書評に、詩は終局は、個人から発せられ、個人に帰結すると自筆でありました。
その言葉を借りるなら、市は市民から発せられ、市民に帰結する。
民度を高める努力の過程が大事です。
2005年07月13日
期待
淡路市長に就任して60日あまり、電話で期待倒れとゆう指摘を受けました。
「あんたが市長になっても何もいい事が無い」
指摘された事を、すぐ調査しましたが、全て、決まっていた事で、某元町長の責任についても、市長が取れとゆう指摘には、法的にも取りようが無く、理解されたかどうか、とにかく丁寧に説明して電話は終わりましたが、最後に気になったのは、市長選挙で門は金を使わなかったのが不満とゆう様子。
何を期待されているのか、御仁は、「皆、言っている」とゆうご指摘なので、これからは、故郷では、ケネデイーの言葉は使わないよおにしようと思いました。
「国家に何かを求めず、何をなしうるかをーーー」英語も忘れてしまいました。残念。
『あなたの国家があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたがあなたの国家のために何ができるかを問おうではないか』
~Ask not what your country can do for you, ask what you can do for your country.~
2005年07月10日
別れの唄ーー燕
今朝、気ずきました。
燕の子ども達の姿が見えません。五月初め、巣作りを始めて巣立ちまで、二ヶ月あまり、早い別れでした。
後には、静かな空の巣と、糞が残されています。
幸せを運んでくると言う燕の巣。今年は、災害の無い事を祈ります。
燕はまた、情報の伝達者とも言われます。正確で冷静な広報が必要です。荷重な期待に頼る事無く、今できる事で最善を尽くす心を大事にし、小さな事を積み上げる努力が大事です。
来年、燕が帰って来るまでに、一歩前へ繋いでおきたいものです。
別れは出会いの始まりです。
2005年07月09日
淡路県民局政策会議
参加者は、三市一町の首長、三人の県会議員、そして、淡路県民局長以下、島内の県機関の代表者達です。
主には、17年度の県民局の主要施策を議題として会議されるのですが、そのほかにも多様な議論がなされ、淡路の課題が話し合いされました。
淡路市からの課題提案の主なものは、西浦県道の改良と明石海峡大橋の無料化でした。どちらも、全員一致で推進が話されました。
特に、大橋の無料化は、子どもの頃から、フェリーは国道28号、明石の2国の接点まで明確で、無料は当然と教えられてた私には、今更とゆう感じなのですが、正論はたとえ虐待を受けても、言い続けなければと思ってます。
そのほかにも、少子化の問題、南海大地震対策、災害の早期復旧、通過交通問題など多岐にわたって議論されました。
一市十町から、三市の体制へ、淡路も確実に動いています。
2005年07月07日
スタッフ
市長室の前のスタッフが、二人になりました。これまで、一人の女性が、担当の男性に助けられながら、日程調整、来客者の対応、事務処理、苦情の電話対応など等、処理していましたが、何せ、市長が、「かかってこんかい」の姿勢なので、対応をより確実にするために整えました。
これまで、5人を10から15人程度で、対応していた事を考えれば、まだ少ないですが、暫くは、この体制で努めてみます。
機会があれば、お訪ね下さい。
それ以外にも、それぞれのセクションで、仕事の効率化、迅速化など仕事をしながら、検討調整しています。また、情報をお願いします。
2005年07月06日
旅立ちの唄
『旅立ちの唄』のデザインが変更されました。
エッセイ集も追加されました。
旅立ちの唄TOPページ
2005年07月05日
iogの会
異業種の会。
実に18年も続いている。色々な人の30分程度の宅話のあと、食事をしながら、懇親会をする。
会話の中身は、実に多彩である。
本日は、柳市長の宅話であった。巧みな話術と含蓄のある話を、50名程度の人達が真剣に聞きいっていました。
県民局長当時に入会して、まだ5年程度。新人の悲哀を感じています。
過ぎた時間の重み、それは、歴史。
2005年07月04日
闘い済んで
28人の淡路市市会議員が決まりました。
選挙は、終わりましたが、これからが始まりです。
立候補した全ての候補者が、沢山の人の夢を背負っています。
制限が有るので、今は28番までの人が、市会を運営する事になっていますが、近未来分かりません。
早朝から、淡路市内を一周しました。
多くの人に出会いながら、其それの思いを感じました。
雨に霞む市内は、重い存在感に満ちていました。武器を持たないはずの闘い済んだ朝でした。
淡路市議会議員選挙投票結果
淡路市市議会議員選挙の投票結果は
淡路市web site
2005年07月03日
雨
市長選挙出陣式の日、雨が降りました。
そして、今日、市会議員選挙投票日、雨が降っています。
それぞれ、新たな旅立ちに祝いの雨です。
世界中で異常気象が話題になっていますが、人間の驕りに対する警鐘なのかも知れません。絶えず自分を見直し、歴史に学ぶ態度が必要です。
そして、歴史は継続から生まれます。雨は輪廻の作品です。豊作も災害も雨次第です。
今年の雨はーーーーー。
井戸敏三知事再選
兵庫県知事選挙の投票結果
井戸敏三 1,094,221
金田峰生 354,584
神戸らしくジャズの生演奏で・・・
元気な兵庫は淡路から・・・井戸敏三
(6/20カリヨン広場にて街頭演説)
淡路市会議員選挙レポート
淡路市会議員選挙が6月26日から7月3日まで行なわれました。
イメージカラーに身を包んだ華やかな選挙戦となりました。
~最後の決戦は雨だった~クロサワ映画のような最終日(7月2日)
2005年07月02日
島
地続きになっても、意識を変えなければ、島は島。
個人としては、別に今のままでいい、と言う意見も有る。それも、大事な意見である。但し、一人無人島で生活しているのであれば、それでいいかもしれない。そうでないとしたら、人は、最低限、人間として、やらなければいけない事と、してはならない事がある。
何故、そんな事が出来るのか?それは、誰が見ても聞いてもおかしいと思うだろう。とゆうような事を平気でする人が居る。
かつて、通信簿に「潔癖すぎる。」と論評された少年がいた。
少年は島を離れ、多くの経験をして、疲れた体を引きずって同志達と行動を共にするため、帰つてきました。その島、故郷、淡路島。
時代は変わっても、人は変わらない。説明責任を果たし、正義を断行します。
緩やかな風が、いずれ嵐を呼ぶ。志筑小学校の恩師の言葉を、今、思い出しています。
「貴方には出来る。大きな星になって」
星になるのは無理ですが、小さな棘のある道端の石になって前へ進みます。