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2005年09月07日
淡路島に欠けているもの
最近、政治家の多くが、義理と人情とゆう言葉を使います。
やはり、多くの人が感じることに、ある意味での真理は有ります。
一人勝ち、一極集中の流れの中で、日本の貧富の差が、すでに二極化しているとゆう人が居ます。
しかも、それは、高齢者と若者に顕著に、見られるとも。
皆が、感じている以上に、淡路島においても、それは進行しているのではないでしょうか?
功利主義者と詐欺師が、潜伏する所以です。
子どものようなデマが、一人歩きする淡路島に欠けているものは、義理と人情の延長線上に有る、愛と、正義では、ないでしょうか?
淡路市は、正確な説明責任を果たしながら、諸悪の根源を掃除していきます。
そのための第一歩は、教育の充実ではないでしょうか。中原中也の言葉ではありませんが、「下手な庭師に、あまりに早く手を入れられた悲しさよ」と言われないように、冷静に真に、子ども達の事を考える視点を大事に、検討を始める時期が来たようです。
皆さんの、積極的な参加と指導にも、期待します。
つみびとの歌
阿部六郎に
わが生は、下手な植木師らに
あまりに夙〈(はや)〉く、手を入れられた悲しさよ!
由来わが血の大方は
頭にのぼり、煮え返り、滾〈たぎ〉り泡だつ。
おちつきがなく、あせり心地に、
つねに外界に索〈もと〉めんとする。
その行ひは愚かで、
その考へは分ち難い。
かくてこのあはれなる木は、
粗硬な樹皮を、空と風とに、
心はたえず、追惜のおもひに沈み、
懶懦〈(らんだ)〉にして、とぎれとぎれの仕草をもち、
人にむかつては心弱く、諂〈(へつら)〉ひがちに、かくて
われにもない、愚事のかぎりを仕出来〈(しでか)〉してしまふ。