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2006年05月30日
国家観について
国民年金関連の事が色々、議論され、マスコミでも不正なども含め報道されています。
感覚、感情論、あるいは、表面的な事だけで判断するには、無理なところが有ります。
ある方が、「花のことは、花に聞け」と言われましたが、「人のために仕事をする気が無い人間が、もっともらしく論評する」現代の風潮は、危険です。
私は、国家とは家庭の延長線上にあると思っています。
そして、二人存在すれば、それは、極論ですが、国家だと思っています。裏返して言えば、一人では、国家とは言えないという事です。
私もよく、冗談に、「放っておいて、私の人生」といいますが、他に影響が無い時はそれでいいのですが、そうでなく、社会的な自己責任における、発言、行動はそうであってはならないのです。
自分の利益を優先して考える人の原動には、留意したいものです。
メールも会話です。
会話とは、最低限、相手の立場も尊重して、謙虚さを持ってする必要が有ります。
「人生色々」という事かも知れませんが、天に唾棄したものは、自分に返って来ます。
最近、ネット上で、私の家族を中傷した記載が有りました。好き好んで、自分の家のマンションに仮住まいしているわけでは有りません。。
私個人のことをとやかく言うのは勝手にして下さい。しかし、家族=国家に受けた理不尽な行為は許しません。
因みに、私の家は、今秋、生家跡に、友人達の協力などにより再建されます。
11年前、県庁から焦土と化した神戸の街を見た時、自分の家の再建は、10年の節目を過ぎてからだな、と直感したことが、やっと実現します。
そして、それから、先祖のお墓に報告をして、私の、阪神淡路大震災の一区切りです。
相手への思いやりのある市作りに努めます。