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2006年06月14日

薪能

淡路市設立、1周年記念のイベントの一つ、「淡路島薪能」が、多くの市民ボランテイア等により、7月23日日曜日夕刻、イザナギ神宮で開催されます。
雨天の時は、しづかホールをサブに入れていますが、私は所謂、「晴れ男」まず大丈夫ですが、例外は、1回のみ。平成17年5月1日。あれは、雨と言うより嵐。
いずれにしろ、由緒ある神宮の暗闇に幽玄の薪の光が舞い、ひと時、日本の美学に触れる。この地において開催する事に意義が有ります。
淡路島薪能実行委員会web site
瓦照苑web site

淡路市は、課題山積の泥舟状態ですが、それゆえに、やりがいが有ります。
そして、市民と共同して守らなければならない、若い5地域の集合体が有ります。内外、県国、合法、非合法、入り乱れての田舎市潰しに立ち向かわなければなりません。
それが、小なりと言えど、歴史の1ぺージを飾ることに繋がります。

歴史と言えば、今から400年以上も前の同月、織田信長が本能寺で自刃したと言われています。
言われるところ、謡曲「敦盛」の「人間50年、下天のうちにくらぶれば夢幻の如くなり。一度生を得て滅せぬ者あるべきか」を謡い舞ったと言われています。
青葉の笛に象徴される武士道の美学、平家物語の若武者「敦盛」から、その生き様に繋げての後世の人間の脚色による可能性も有りますが、なるほどと、評価が確定するのには、時間をようするものです。
淡路島3市の評価も、30年の時間を要するでしょう。

歴史に、信長の毛利攻めの戦の一つに、1581年11月淡路岩屋城攻略が記されています。
当時の戦略地点としては、岩屋の地形はまさに、優良な牙城であったでしょう。
松帆の古い港湾も文化財に指定されようとしています。

「淡路島には、文芸はあっても文化は不在」と言われた事を払拭しなければ、真の自立は有りません。
「島は島、田舎は田舎」と言われながら、強かに立ち向かう覚悟です。

一言。武闘派の娘曰く「日本はメンタル面が弱い、鍛えないと駄目。親父は気持ちが先走る、走り出す前に考えて」ワールドカップ魔の9分。