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2006年10月10日

かつて、田舎の道は地域住民の会話の場でも有りました。
今日、こういう光景を目にしました。
一台の車が荷物を降ろすために停車していました。通りかかった軽自動車の運転者、性別年齢は不詳、いきなり長くクラクションを鳴らし続けました。
目視からも通行可能、異常なクラクションの鳴らしかたに驚いたように停車していた運転者は、急いで立ち去りました。
相手の精神状態を危惧してすぐ立ち去ったように見えました。
車のハンドルを握ると人は変わると言われますが、まさにその光景でした。
会話の無い、砂を噛むような光景でした。

道路の一部がそんな使われ方をしているせいか、道路特定財源を一般財源化しようという議論があります。
目的税の根本の見直しは置いておいて、集めた税金を使おうという、ある意味、荒っぽい方法です。
そこには、無意味にクラクションを鳴らし続ける狂気のようなものが感じられます。
正論は通らないという言葉が有りますが、税金の使い方のきちんとした説明責任がそこには不足しているように見えて仕方有りません。

明石海峡大橋も道です。
他に代替の道路の無い道です。
かつて、明石海峡には海上国道として日本道路公団のフェリーボートが有りました。今は民営のものが有りますが、国道としての代替道路としての意味は、明石海峡大橋には有りません。
その意味において、大橋は無料であるはずです。
そこしか通れない道で、国民から通行料を召し上げる、こんなアコギナ商売がまかり通る国は、あまり聞いたことが有りません。

道は単に国民の移動手段としてあるのではなく、その国の文化のバロメーターでも有ります。

一言。クラクションを異常に鳴らす人間の殆どが、性格に異常が有ると言われています。何時でも逃走できる状況に身を置き、相手を威嚇する。北朝鮮の核実験の性格に何処か似ています。