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2006年10月05日

結果が全てか?

早起き派か、深夜派か、どちらにしても結果はそう変わりません。
人間も、必ず死ぬのですから、結果が全てで有るならば、何をしてもいい事になります。しかし、そうではない筈です。
その過程が大事なのです。
人生もその過程、如何に生きたかが大事で、結果、死のみに拘るのは正しくありません。

ロシアの方々に、短時間、通訳を交えての基調講演で、敢えて「武士道と美学」を選んだのは、外国で誤解されている、「サムライは死を尊ぶ」と言う認識を解くためでした。
如何に死ぬかという事は、如何に生きるかとというアンチテーゼなのです。

私達の頃は、机で原稿用紙に向かいその白い紙に意見を託しました。その意見が伝わるのに時間がかかりました。しかし、時間がかかるぶん、内容に重みが有りました。
現代は、パソコンがその主流です。意見も瞬時に多数に伝わります。
そのぶん、何か軽薄な事も散見されます。

2チャンネルで根拠の無い酷い内容の文が有ると知らせてくれました。今、司法で相手を特定し告訴を検討しています。これは、結果をきちんとしなければいけません。
顔を隠し、無分別な行為をする価値感は私には分かりませんが、犯罪者の根底にある共通したものだそうです。悲しいことです。

一言。朝の来ない夜は無いと言われます。しかし、夜があっての朝です。暗闇の中に、希望の行間の密度を見つけたいものです。

【アンチテーゼ】Antithese(ドイツ語) ある理論・主張を否定するために提出される反対の理論・主張。