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2006年10月29日
ポール・ゴーギャン
鎮痛な美しさと評せられた作品郡は、タヒチと切り離せられない。
ゴッホとの関係からか、時には異端と見られたその背景には、「いかに懐かしい仲間でも側に居れば対立しあわずには居られない」強烈な個性があったのでしょう。
果たして淡路島にもそうした芸術家を引き付ける資質はあるのだろうか?と自問自答する時、気持ちがあい半ばするのは何故なのか。
やはり、美しさの共鳴が不足していると考えざるを得ない。
「美しい淡路島つくり」を提唱する所以です。
未明の静かな故郷に向かって、「われら何処から来たのか?何者なのか?何処へ行くのか?」と問うのは、不遜に過ぎるか?
出会いの創出が出来る「美しい淡路市作り」を淡路島からタヒチ島に送りたい。
(ポール・ゴーキャン『タヒチの女たち』)