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2007年01月19日
尾大掉わず
奈良県天理市に行く事があり、所要時間を計ってみました。
志筑の自宅から、国道28号線を北上。国道の代替道路の明石海峡大橋を渡り、阪神高速で西宮まで、そこから名神高速で吹田ジャンクション、母校関大のトンネルを通る時、何故か楽しかった思い出より、悲しい事を思い出しながら、近畿道を南下、松原ジャンクションで西名阪に入り、天理東まで、目的地には、2時間を切って到着。帰り際、「くれぐれも気をつけて」と念を押されました。
兎に角、周りに気を使わないドライバーが氾濫しています。
全ては、家庭教育に帰するのではないでしょうか?
いつ頃からこうなってしまったのでしょう。
言葉尻に拘ったり、問題の本質をはぐらかす会話。個人主義と利己主義を混同する風潮。権利は主張するが義務は放棄。こうした事は、急に現れたのではなく、積み重ねて今が有ります。
やはり、敗戦後の混乱ごろからその芽は育ったのでしょう。
過渡期の淡路市には、その上、諦観と逃避が有ります。
組織が肥大化し、スケールメリットを活かさなければならないのに、意見はなかなか多様です。
組織が上手く機能するための方策が大事です。
個人の利益と、全体の福祉、両輪をバランスよく回転させ無駄の無い、尾大を掉わさなければなりません。
一言。可能性の無い組織は無いはずです。
【尾大掉わず(びだいふるわず) 】
上の者が弱小で下の者が強大だと、組織の統制がとりにくいということ。動物は尾が大きすぎると、その尾を自在に振り動かすことができないとして言う。『春秋左氏伝・昭公十一年』に「末大なれば必ず折れ、尾大なれば掉(ふる)わず。君の知るところなり」とあるのによる。