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2007年05月15日
北淡路開拓建設事業
今、北淡路と言えばどの地域を指すのか?3市時代の淡路島においては、北、中、南とすれば、北淡路とは淡路市そのものを指すことになる。
しかし、淡路市とすれば北淡路は、また違った意味を持ちます。
国営北淡路開拓事業が指すエリアとは、津名丘陵、旧北淡、淡路、東浦に広がる地域の事を意味する。
当時の北淡路土地改良区理事長、故中筋北淡町長が、当時の気持ちをこう表現しています。
「活気ある広大な農業団地化を図り、時代に即応出来る農業及び農村整備が、今日ほど望まれている時はない。この事業により農村地域の活性化進められる環境整備の基礎が充分整ったと確信している」
平成2年の事である。
昭和36年北淡路開発実行委員会に始まり、昭和43年から平成元年までの22年間の事業は、基本計画では、地区面積610haに始まり、事業費169億円、農地造成等400haをもって事業は完了した。
しかし、以降、みかんの生産過剰によると言われている作物転換、土地投機ブームによる開拓地の転売問題、さらには農業従事者の不足、農産物需給緩和等による営農不振が続くなか、会計検査院の指摘、国会報告などを経て現在に至っている。
昭和43年と言えば、私が兵庫県に就職した年。時代の流れは、平成13年初代の総合事務所化した淡路県民局長、そして平成17年初代の淡路市長としてこの事業に遭遇することとした。
この間、査定側としては財政課、事業部局として、農林水産部、土木部として関わってきた私としては、複雑な思いがあります。
「4割を超える未利用地の原野の責任は誰に有るのか。」
しかし、今はその事を問うより、北淡路地域の環境の変化をプラス視点に変え、「環境バイオマス農業の丘」として、成功している花さじきと連携しながら、民間の活力を導入し、例えば、エコエネルギーの風力発電による観光、そして農業との連携を模索したい。
先人の遺産を見直し、明日の淡路市の為に役立てることの施策展開が、今求められています。
一言。大道廃れて仁義有り。