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2007年09月11日

志筑浦方

小学生から、「しずきうらかた」とは、何ですか?と聞かれました。分り易くこのように返事したのですが、分り易く説明するのは、単純なものほど難しいものです。

志筑浦方の発祥は、明治10年5月、志筑浦と志筑浜村が合併して志筑村が誕生した頃まで遡ります。
今から、129年ほど前です。
明治22年4月、町制施行で志筑町が誕生しました。
昭和30年4月、塩田村、中田村、生穂町、佐野町、大町村と志筑町が合併し津名町が誕生しました。昭和の大合併です。今から52年前です。

一世紀以上の歴史の有るものですが、現存する書類で、説明します。
昭和30年4月、津名町が誕生した時に、「志筑町で管理していた志筑浦方財産区を、志筑浦村の共有物であるので、志筑浦方に返し、管理する」と議会で決めました。

図示すると、志筑浦村の共有の土地(志筑浦方が管理)--志筑浦方財産区(志筑町が管理)--
ーー志筑浦組(志筑浦方が管理)と町村合併により変遷したのです。

ここで、財産区の説明をします。
特別地方公共団体の一つで、市町村及び特別区の一部で財産を有し、または、公の施設を設けているものです。その財産や公の施設の管理処分についてのみ権能を持ちます。
当然、税の優遇措置も有ります。

このような歴史の経過で、志筑浦組と表示登記されている土地を、志筑浦方の市民が維持管理しているのです。
公園や共同の施設など、市に代わって維持管理する大変な仕事です。地域社会が崩壊していると言われる田舎にあって、こうした歴史に裏打ちされた村落共同体が共同利用しながら地域を守る慣習は、大事な良心の一つと言われています。

人口減少の淡路市、お互いが協力することが大事です。
友達にも教えてやって下さい。

一言。小学生には、図で説明する方がいいのですが、こちらのパソコン技量が追い付きません。残念。