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2008年01月18日

我が故郷

神戸市加納町4丁目の交差点、警察官の制止を振り切って登庁してから13年の月日が流れました。
震災復興、事務処理の整理、淡路県民局長、県代表監査委員そして、淡路市の初代市長として、故郷で多くの方々に助けられて今が在ります。
これまで人前で涙を見せた事、3回。赤ちゃんの時、母親が死んだ時、そして選挙の時、何も持たない私に集会でエールを送ってくれた多くの人々への感謝を伝えた時、でした。
次に涙を流すのはいつか?誰にも見せない涙こそが、いや、誰にも見せれない涙こそが、本当の悲しみに耐える時かも知れません。

震災復興で今残っている一番大きいものは、富島の区画整理事業。
20,9ha、地権者約600人、総事業費は約250億円弱、淡路市の一般会計の適正総額にほぼ匹敵します。
事業は04年度末に完了しなければならなかったのですが、仮換地指定は終了しているものの、換地処分が一部残っています。全国の人々、税金に助けられての復興事業ですから、事業延長も08年度末までです。
住民の方の事情で建物移転が無理な方の代わりに、市が責任を持って直接施工などをして今年の秋頃には、ハードとしての復興は終わります。後は、残務整理のみになりました、全国の皆様、有難うございました、そして住民の皆様、御苦労さまでした。悲しみを乗り越えて、頑張りましょう。
家が再建され町並みは後世に誇れる整備ができ、過疎化に少しでも歯止めがつきました。
団塊の世代も帰ってくる事ができ、若者達も町並みを誇ることが出来ます。

さて、予算査定は難航しています。
通常の市長査定では、概計、いわゆる予算の大まかな姿が決まってから、どう整理をするかというところなのですが、とてもそこまでいっていません。
その上、国会まで不安定ですから、それ以上に歳入ベースで不安材料を抱えています。
いずれにしても、身の丈にあった予算の策定をしなければなりません。
当初予算は理屈、理論、考え方を示す淡路市の形の世界です。
真剣な議論の積み重ねが必要です。