日記 « 20年度当初予算記者発表 | 活動報告のトップ | 白眼青眼 »
2008年02月26日
2.26事件
今週あたりから、淡路市洲本市広域事務組合議会、淡路広域議会、そして淡路市市議会などの定例的活動が始まります。
市民、住民を代表しての、相互監視そしてセーフテイーネットの機能が議会という制度の中に有ります。
それは、行政と同じで、単年度の事ではありません。継続して課題などは引き継がれ、議会全体として市民、住民に対して説明責任などが有ります。
今朝の新聞に、洲本市の20年度予算の概要が発表されていました。一般会計は209億円、市の財政調整基金(貯金)残は、4億2千万円。
ほぼ同じ人口、面積の淡路市の一般会計が、270億円、財政基金残は1億2千万円。震災の影響が大きいものの、それでも、淡路市の財政運営がいかに肥大化しているかという事です。
その為に、人件費も切り詰めなければなりません。今年度末、60人近い職員が退職する予定です。そして、採用は10人にも満たない。これは、合併協議時の計画を上回って進行している結果となっています。これだけしても、これまでの借金、付けは大きく、財政運営は困難を極めています。
そんな中でも、最低限、決められた事、子供たちの体育館、給食センター、そして防災拠点などは整備しなければなりません。それらは、工夫をして出来るだけ一般財源を使わない手法での予算運営です。
・議員面談。
・水道部との協議。
・国民健康保険運営協議会の予算協議。
・議員懇談会。
・第95回淡路市洲本市広域事務組合議会。
・遠田地域保育所園の休園等についての説明会。
父親の墓が在る地域です。叔母の門正代が保育士として活躍していた地です。
子供の頃から、母と、姉と、そして一人で春と秋、墓参りに通っていた地です。
その地に、地元の人達が馴染んでいる保育園を休園する事を私がお願いに上がりました。
歴史の不思議を体感しました。
1936年昭和11年2月26日、皇道派の青年将校達が兵卒を動員して、行動を起こしました。
その日は、雪だったと聞いています。
今日は、雨と風。
昭和7年の独断行動と言われた5.15事件とは違うものでした。
小中学校保育所園の統廃合、休園は、まさに淡路市全体のやむを得ぬ縮合施策です。
今の時期を失したら、淡路市の将来に禍根を残します。
手ぬるいとまで言われる淡路市行財政改革は、最後まで、市民に説明責任を果たしながら、順番に整理していかねばなりません。