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2008年03月08日

淡路歴史浪漫・風景街道フォーラム

パネリストとして意見概要です。
1風土工学との出会い。
 景観は10年、形態変化に伴い変貌する。風景は百年壊されずに残る。風土は千年、人々の心象風景
 として残る。
 H13(2001)県民局総合事務所化。
 H14(2002)風土工学で、125の淡路島の風土資産を選定。魅力ある地域造りを行うため、風土を地 域の魅力を形成する資産として捉え、風土という地域個性を活用し、地域の独自性、個性を主張し、地 域の魅力を発信した。
 H16(2004)壱の国風土会が、風土工学的手法というスパイスで、地域活性化のための刺激を与え、 人々の心、或いは町に活気をもたらし、地域の個性が明らかになる淡路島ならではの地域活性化を、
 目指し結成され、現在も活動している。
 メンバー選定にあたっては、それまでの便利屋手法を排除し、多種多様な島人を登用した。

2淡路島のターニングポイント
 S60(1985)鳴門海峡大橋架橋~国生みの祭典
 H 7(1995)阪神淡路大震災 ~北部大打撃
 H10(1998)明石海峡大橋架橋~花博・ジャパンフローラ2000
 H18(2006)淡路島3市時代の幕開け。全ての合併協議会に参加したのは、結果として県民局長と
         してのわ私だけ(いずれ詳細、本当の事、その時歴史は動いたことを発表します)

3淡路島の未来。
 (1)戦術。
    淡路島は、関西国際空港建設を手放した時、経済圏としての発展を手放し、今の環境を保持した
    いわゆる、土木事業を投入し京都疎水で今の京都をつくった手法と、屋久杉を残し観光資源として
    屋久島の今を有らしめた手法、後者を、淡路島は選んだ。
    一市運動は頓挫、少子、過疎、高令問題を抱え、両橋の名前に象徴されるように通貨交通位置
    としての見えない展望の現実を認識しなければならない。

    淡路島、過渡期の3市時代にあっては、結果として、集約統合の手法で、質の向上を目指す、
    地域経営を確保するため、住民の理解を求めなければならない。

  (2)戦略。
    企業誘致、定住人口の増加対策は勿論、即効性の事業展開として、官民一体となった、観光、
    スポーツ、グルメそして地場産品の売り出し販売など総合的な動の施策を展開する。
    淡路市としては、良質な、関西圏域のベットタウン、定住性のあるリゾート地を目指す。

4総括。
  淡路市の集落、217のうち限界集落(65歳以上の人口比率が50%)は、特養3地域を除いて、
  5、予備軍も多い。
  しかし、二極化と揶揄される現状も、東京に代表される都会は、田舎があっての都会。
  いずれ、時代、歴史が田舎の付加価値が宝である事を認識する時は、必ずきます。

  私達は、軽佻浮薄に流されること無く、今を生きるべき。
  今年は、明石海峡大橋(神戸淡路自動車道全通)架橋10周年、動の仕掛けとイベントで、淡路島を
  盛り上げましょう。