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2008年03月22日

狷介孤高

昨夜の月は、見事でした。
欧米では、月を見て感慨に耽ることはあまりないと聞いた事があります。日本人の感性が、月をこよなく愛するのかも知れません。
さて、淡路市の組織、人事も激動期に突入です。3年のタームで蓄えた力で乗り切れるかどうか?
人事は、点ではなく線です。
そして、今の淡路市は、OBを含めた面、総力戦でないと、20~22年の激動期の対応は難しいです。
来年度は、今以上、景気が厳しさを増すと言われています。
職員の意識改革と、責任有る行動、これが課題解決の鍵です。

確か、アメリカの沿岸警備隊の言葉に、SO OTHERS MAY LIVE という言葉が有りました。
自分の命も危ぶまれる現場での救命活動の過酷さは、体力もさることながら、精神力が大事と言われています。
救助する人間の二人の内、どちらか一人を選らばなければならない時、一本の綱に二人でいてどちらかが綱から離れなければならない時、一人でも生きる選択をしなければなりません。
悲しいことではあっても、それが人類の全体への責務です。

西浦、東浦、東海岸、西海岸を見て廻りました。
見た目には、海は美しく広がっていました。
第一次産業の維持は、市の責務の大事な一つです。

まだ、災害の傷跡のある農地、山並を見て廻りました。
車とすれ違うことはあっても、めったに人とは会いません。
この地にあった環境施策が必要です。田畑には、作物を植えるのが常識でしょう。

学校は子ども達のためにあるべきでしょう。
淡路市は、村や町ではありません。
市域全体を考えて、美しい故郷つくりを目指すべきでしょう。

優秀な兵士が教官となった時、自分より優秀な兵士を育てたと感じた時が、引退を決意する時だと言われています。
人には、寿命、運命があり、体力、知力もいずれ消えます。残るのは、その人が歩いた軌跡です。
矜持の軌跡は、いずれ伝説になり、それのみが語り継がれる権利を得ることができます。
たとえ小さな田舎の市民であったとしても。