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2008年06月18日

作家の宇野千代が、夫の尾崎士郎と別れた原因と噂された、梶井基次郎には、容貌に対するコンプレックスが有った。
それを、彼は社会にではなく小説にぶつけ昇華させ、「檸檬」などのような名作を残した。と論じる人が居ます。
見方は色々有りますが、秋葉原無差別殺傷事件の対極にある事は事実でしょう。

私の年齢では後輩、文学では、今のところ先輩の友人から連絡が有りました。
「人間を分けるのは危険過ぎる。それをするのは神々であって、人は絶えず変化するものです」

「そんな簡単なものではありませんが、人を大別するとしたら、善人の人と悪意の心を持つ人、責任を取る人と取る気が無い人、オンリーワンとその他大勢」
と私が、表現した事に対してでした。

・教育委員の辞令交付。

・建築関係者との意見交換。

・淡路島フイルムオフィス理事会と総会。

・不動産関係者との意見交換会。

いずれも、顔と顔を合わせての面談で、半分は大体分かります。
後の半分は、隠された顔に有りますが、どちらがいいとか悪いとかではないと思います。

3市合併を見越しての行政は、淡路市民にとって最良の選択にならない、という意見があります。
しかし、ものによっては違います。
総合的に将来を見越して計画するのが行政です。行政とは全体の福祉を希求することで、自分の利益だけを求める民間発想と基本的に、違うところです。
これまで、国の保護のもとに、5町それぞれの行政を進めてきた弊害の一つが、今の危機的財政状況に直接、繋がっています。
そういう事を回避するのが、全体のバランスを見た判断に繋がります。
淡路市の行政が、独立して行動出来る力が無い今は、冷静な判断が必要です。
行政は、結果責任も問われます。これまでの事を今の職員が、結果として被る、これも行政とは継続という命題を背負っているからです。
ただし、何でもかんでも「行政は何をしているのだ」と言ったことで片付けてしまう思考は、排除しなければなりません。
自分たちが当然しなければならない事を行政のせいにする悪しき価値観は、時代遅れの代物です。
意識を持って立ち向かいましょう。