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2008年09月13日
滅びの美学
洲本市と南あわじ市の議員さんの、来訪がありました。
「市長、報道を見ましたが、大変ですね。頑張ってください」とエールを送られました。
「有難うございます。大丈夫です」と言いましたが、想定の範囲内とは言え、不名誉な1位であることは、
「資産は1位、維持、整備のスピード調整をするだけ」と言い訳をしてみても、否定出来ない事実は、事実。
日本は、昔から、敗北者に同情する気持ちの高い民族でした。
源義経、織田信長、豊臣家、赤穂浪士、白虎隊、新撰組、西郷隆盛、そして神風特攻隊。
これら、異論はあるものの、悲劇の英雄達を語った書物は多い。
アイバン・モリスの「高貴なる敗北」。保田興重郎の「偉大な敗北」。
このことに触れて、京都産業大学のロマーノ・ブルピッタ教授が、「敗北者に同情する気持ちが、正義への欲求から生まれる。社会の和を維持するため、不正を容認せざるを得ない日本人は、敗北者を既成秩序に抵抗し、義に殉じた英雄として尊敬する。正道とは、私欲を抱かず、公に奉ずることであり、国家の大業を計るためには、そんな人材が今の、日本に必要」と論じていました。
イタリア、ローマ生まれの教授の、「君に伝えたい、日本」の言葉は、含蓄に富んでいました。
独りよがりの、滅びの美学は、見直さなければなりません。
最近の説明責任の議論の中で、「官僚の独善的文章は、隠語まみれの悪文の見本」と指摘されていますが、自分が分かっていても意味がないので、相手にどう分かりやすく伝えるか、の努力が求められています。
独善、一面的視点が、結果として滅びを創出することもあります。
コンクリート護岸工事の代償として、消えた五色浜と指摘されている事件は、あまりにも悲しい事柄です。かつて、石拾いの観光客で賑わった浜に人影は見えません。
滅びの悲劇は、自然との付き合いの難しさを思い知らされています。
小雨の土曜日、運動会の開催判断、難しいです。我々の頃は、雨天決行が原則でした。
TOP別掲。
・太陽光発電建設の誘致。
・潮流、海流発電の誘致。
・タコフェリーの支援策の協議。
・市有地処分の妥当性と推進。
・公共交通の考えかたの整理。
・模型飛行機飛行場の誘致。
スポーツ、食、観光そして、交流人口の増加推進の姿が、徐々に見え始めました。
明石海峡大橋、土日祝日、半額は、諸刃の剣。
島人は、結束して事に当たらねばなりません。軽挙妄動は避けなければならない。