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2008年12月28日

ふれあい交流広場

住民自治の原点に、敢えて、行政が主導することはないと、言う意見が有ります。
しかし、それが誘引となってプラスの方向に向くのであれば、実行すべきでしょう。

アメリカの魅力の一つに、「自ら選んだ大統領には国民も責任を負う合意ができている」と言われています。
国民が、直接自分たちの代表を選べない、特に、間接的に密室で決められるシステムは、やはり何処かおかしい。
日本はまだ比較的、正常ではあるが、国会の公務員改革の消極的な態度は、東京一極集中の一つの弊害でもある。
どの様な組織も、自分たちを守るものであるが、「天下りしてどこが悪い」と公言する姿勢は、やはり何処かおかしい。

憲法19条の思想・信条の自由の保障とは、個々人の倫理感に基づいた歴史感に裏打ちされたものでなければならない。
これまで、いい加減な事をしてきた政治屋が、公共のテレビで適当な事を言っているのを見るたびに、嫌悪感と失望を感じるが、それらの打破には、田舎の「ふれあい交流広場」のような場での、後継者育成が必要と、確信します。

強気と無鉄砲の違いは、前者に希望が有ることです。
かつての、ゴルフの恩師の言葉でした。
私は、後者に見られていたのでしょう。しかし、スタイルを変える気は有りません。
何でもすぐ裏切る風潮に反抗したい気持ちもありますから。