日記 « 葉月。 | 活動報告のトップ | 赤口 »

2009年08月02日

隠喩法

スピーチや文章においては、文学的感動を与えるが、感動に訴える比重が高いので、相手によっては混乱を与えてしまうことも有る。

その点、ビラなどによる表現は、小学生も理解出来る内容なので分かりやすいように見えるが、真実であった試しがないようなので、辛いものがあります。

それは、会話においてもそうです。
今でも時々思い出しますが、説明会ということで行くと、何を勘違いしているのか、糾弾会の理解?
行政批判が、錦の御旗のような勘違いのオンパレード、まさに幼稚園の学芸会。
昔、日本は総白痴化すると、テレビの影響を懸念していた人が居ました。

成程、当たらずと言えども遠からず?
そう言えば、ジデジとやら、何故、しないといけないのか、真面目に考えてみるとよく分かりません。
特定の人達が儲けるのでは?
今持っているテレビが見れないのは、やはり、どこか可笑しい?