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2010年05月18日

慈悲

私が書いたブログで、細井平洲の「誠、慈悲、慎みの心」に関して、「慈悲という仏教用語は、市長には似合いませんね」というメールが有りました。
サンスクリット語でいう慈悲とは、一切の人々に対する平等な友情の意味ですから、その意味においては指摘は、当たらずと言えども遠からずか?

しかし、私の家は真言宗であり、庭には小さな社が有り、居宅には、仏壇とイエスキリスト像、広間と台所には神棚、愛唱歌は、清しこの夜です。
充分だと思いますが?

慈悲と愛は別物だと思いますが、愛を唱える鳩山首相は、「トップリーダーが、誠意を見せれば相手が理解してくれると信じている」ようですが、相手にいかに伝えるかについて、何か勘違いをされているように感じてならない。
国民不在の国会を、国民は感じています。詰まらぬ権力闘争からは、何も生まれないし残らない。誰しもわかっているはずなのだが?

誠と言えば、女子プロ野球リーグを発足させた運営会社代表の、片桐諭さんは、淡路市に訪問された時も、誠が感じられる方でした。
何よりも、自分自身のスタンスをきちんと認識されていました。思い違い、勘違いの多い現代にあって珍しいタイプでした。
やはり、順調な滑り出しのようです。
頑張って下さい。