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2010年06月01日

平成22年水無月

今年も早、半分に差し掛かりました。
いよいよ、色々な事を積み上げていく実行の期間に入りました。これから、適切なスピード感覚を持って、処理していかなければなりません。

・トップマネージメント会議。
・広域行政との協議。
・市民との意見交換。
・建設業との意見交換。
・美湯・松帆の協議。
・聖隷淡路病院検討委員会。
・建築研究所との面談。

アマチュア・ドクターの闘病記。
不死身かと言われるほどの頑強さゆえ、痛みの個所は痛めて治す、病気は根性で治すものと公言していました。確かに、風邪も胃薬で治っていました。
最近まで、朝のラジオ体操10分間の前後に、腹筋50、背筋50、腕立て50を3セット。それに鉄アレイとエキスパンダーの筋トレを毎日。それに、懸垂30と適度のランニング。やっと腹筋の割れ目が復活しかけていました。
今、全仏オープンの2回戦、痛みをこらえて強行敗退したクルム伊達公子選手の痛々しい姿に、右足の筋膜が裂けていても、棄権欠場をよしとしない名選手に、心からのエールを贈りたい。
異変の始まりは、唐突でした。志筑区域は原則歩く。4月初旬左足の痛みに耐えかねて休憩、少しすると歩けました。しかし、違和感は続いていました。プロのドクターに言わせると、典型的な脊柱管狭窄症の事例。
それからも、症状が回復しないまま、トレーニングを痛みを辛抱しながら続行、その間、カイロプラクテイック(整体治療)、整形外科を経て、5月20日MRIの検査予約。
5月20日MRI予約の取り消し。「高速道路料金の見直し陳情」に上京。
5月21日二日間に渡って、国会周辺を歩き回る。昼ごろには痛みは限界状態。
5月22日と23日は、皇太子殿下のお迎え、お見送り。その瞬間だけウエステインホテル玄関に立ち、待っている間は近くで椅子に座って待機。
5月24日から27日まで、左足の痛みは24時間続き、27日は気分の悪い限界に達する。
28日K整形外科病院で、ブロック注射プロセインと副腎ステロイドホルモンを注射。やっと朝まで就寝できた。
29日T病院でMRI検査。
診断は、「脊柱管狭窄症と一部軽いヘルニア状態で、神経を刺激、オーバーワークで悪化。特にトレーニングはこの種の病気にとって最悪の運動。年齢的にも異常。今のところ手術までは必要無い。静養し薬で様子を見ましょう。痛い運動は駄目」とのことでした。
しかし、この所謂、坐骨神経痛の痛み、不条理に尽きるほど痛い。しかも、途切れる事が無い。経験した者にしか分からない痛みに耐える事は、有る意味、楽しい。
という事で、暫く、関係の皆さんに若干のご迷惑をかけることになりました。宜しくお願いいたします。
通例で、三か月と言われています。一か月の復帰を目指します。
(一言)
「安静、静養が、積極的な治療に繋がります。くれぐれも無謀なトレーニングなどなさらぬように!」清少納言。