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2010年06月02日

弔意

別れはいつかは来るものですが、やはり寂しい。
さようなら先輩。
6月1日午前3時半頃、丁度、私がメールを点検していた頃、元北淡町長、小久保正雄さんが亡くなられました。
早朝のメールでその事を知った時、旧津名郡の一つの歴史が幕を閉じたのを感じました。
平成6年の初秋であったか、「門、北淡町へ帰るは」と、当時、県職員であった私に、6期を勤めた小久保県議会議員は私に言いました。
国会を目指すと日頃から言っていた高校の大先輩の胸中は、どうであったか?
10月北淡町長に就任、そして三ヶ月後、阪神淡路大震災に遭遇、時の町長として日本に知られることになりました。
淡路島が、平成の大合併の模索を始めた頃、私は淡路県民局長として故郷に赴任、小久保町長に再会しました。
大震災、合併問題という北淡町にとって激動の時代を二期勤め、合併という難題を後継者に託して、引退をされてからは、時折会って話す以外、付き合いも疎遠になっていました。
そして今日、時の淡路市の市長として、丁度、一回り上の先輩を見送る事になりました。
どんな別れも辛いものです。

閑話休題。
弔問に来られた、井戸知事に、坐骨神経痛なるものを告げると、「門さんらしくない」と言われました。
納得。
・要望していました、小中学生用の野球場が、佐野運動公園に、2面完成します。少年野球のメッカの誕生です。
・静の里公園に、金塊のレプリカを展示しました。
「何故置く必要があるのか?」との意見が有りました。
一億円金塊の歴史の記憶と、移り変わりにより、金の値段を、子供達などに実体験してもらう、教育的な観点からです。金の相場で、金塊が二つになったり、小さくなったり、もの言わない教材です。