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2010年08月01日

激情

劇場ではない。感情の噴出の事である。
時に、肉親や家族を不慮の事故で亡くした時の自己表現で、韓国人と日本人の感情の表し方が、お互いの美学の両極と言われてきました。
前者は感情に正直なのが美しく、後者は抑える事が人間として美しいと考える。
しかし、最近、全く違った光景を見ました。
韓国俳優の死に、人目を憚らず号泣する婦人の一団。そしてそれらの殆どが日本人。グローバル化と捉えるか、日本人の美学の崩壊と捉えるか?

先日、劇作家のつかこうへいさんが亡くなりました。本名は、金峰雄、在日韓国人で、ペンネームを全て平仮名にしたのは、日本語の分からない母親への配慮だったとか。
そのつかさんが、慶応大学在学中、全共闘全盛時代でキャンパスの隅で芝居の練習をしていると、罵声を浴びたそうです。
その罵声を浴びせた活動家の多くが、その後何事も無かったかのように社会に出て、平穏な暮らしを享受しているとか。
「文化とは恥の方向性。日本人はそれが分からなくなってきている」とつかさんは嘆いていましたが、日本人ではないからこそ、その作品に日本の美学への強い思いが感じられました。

いずれにしても、一番近くて遠い外国。日本人が自分を見つめ直さなければ、狂い始めた正論、折角の美しい国の歪みはなかなか直らない。

人は、見たい現実しか見ていないと言われます。自分のしていることは、正しいと思ってしているのでしょうが、発信するばかりでは意味が有りません。
きちんとした、受信が出来なければ相手の心にも響きません。

日曜日、多くの職員が勤務しています。
意味不明に行政批判をする無責任体質を冷静に排除し、激情に走らないようにしましょう。

(一言)
発展途上国に支援をマスコミ等は呼びかけ実行していますが、日本の田舎が危機に瀕しているのを、どう理解しているのか。このままだと、共倒れ。