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2010年10月04日

組織と個人

いくらしっかりした組織でも、個々人の資質が明確でないと、危うい。
我々の世代は、日本人は勤勉と教えられていました。その概念が、今、揺らいでいます。
沖縄・尖閣諸島の中国との騒動も、国民への説明責任は放棄されたままです。
「知らしめべからず」であるとしたら、国家と国民の信頼関係は揺らいでしまう。どこかの、一党独裁、世襲制度を未だに強硬継続している国家もどきに近づいていることになる。

県立淡路病院の21年度決算が黒字になったと報道されていました。
8年ぶりの黒字転換ですからニュースになるのは当然ですが、公立病院でも努力すれば、出来るということなのです。
その要因が、組織(構造的なもの)か、個々人の努力か?後者であるとしたら、本物なのだが?

さて、淡路島広域水道の3市合併は、5年前にすることを条件で本土導水が実現し、以来、淡路島に本格的渇水は無い。
5年前、行政合併を優先することを理由に、五年後に合併を猶予した。
今年の4月に何とか一元化したが、全島民が約束した事を、「そんなことは、守らなくていい」と発言した公人が居た。
それくらいだから、合併をしなければと確信していたのは、二人くらいか?
一人は、「約束は守らなければならない」との強い倫理観、もう一人は、「淡路島の将来を見越しての対策」との水道のプロ意識、という個人プレー。
10年後にその意味は明確になる。
その時は、二人の存在は消え、惰眠を貪った輩が、その時の苦労話をしているでしょう。
それでいい。

組織から離れて、個人が個人として存在する覚悟ができた時、本来の仕事が出来る。
国家という組織に、国民という個人が、こんな事を言ってました。
「日本に核が無いから、尖閣列島も取られる。北方領土も一緒や。武器無かったら、だまっとらんとしゃない」
サウナの中の会話でした。

暗闇が取り巻く庁舎で、仕事をしている職員も居ました。
淡路市には、まだ可能性と未来が在る。