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2010年10月18日
正論の行方
100%の正論など有る訳がないが、9割の人がそうだろうと思うのを、正論とするしかない。
しかし、そこにも問題が有る。
多数決が正論かと言うと、隣国の騒動を見聞きしていると、どうもそうではない。
しかし、隣国では、正論なのでしょう。
時と場所、諸般の状況で正論が変化するとしたら、正論とはそもそも何なのか?
かつて日本は、過激派の要求に対して、超法規的措置を理由に犯人を釈放して、「テロ組織を増長させている」として批判を浴びた事が有ります。
目先の困難を回避するために妥協する事で、全体の方向性を見誤ってしまう事も有ります。
中国との付き合いの仕方も難しい。
民主活動家の劉曉波氏に対する扱いなどを見ていると、とても信用する事が出来ないのだが、例えば、来日し志筑で在住して働いている若人達は、真面目で勤勉です。
暴動を起こしている中国在住の若者達とどう違うのか?
恐らくどちらも同じ中国人。
矛盾するものを同時に持つ相手と、まともに戦わなければならないとしたら、こちらも矛盾する正論を使い分けるしかない。
義烏市との交流も、まさにその延長線上に有ります。