« 2011年03月 | 活動報告トップ | 2011年05月 »
2011年04月30日
4月30日最終日
メインは、東洋合成工業(株)の現地施設(用地)の視察。
現地の管理をしてくれているフランシスさんと。
セントメリース市の工業団地の一画にありました。32エーカー。
・図書館。
・高齢者施設。
・その他、セントメリース市の見学。
僕のホストファミリーとその家です。
ホテルでパキスタンの青年と。
これからは、報告が難しくなります。
5月1日、14時頃、アトランタ空港を離陸。
日付変更線を越えて、5月3日午前0時30分頃、淡路市役所に到着。
2011年04月29日
姉妹都市提携25周年記念式典。
各施設の視察を終えて、松田総領事を迎えてのレセプション。
素晴らしいものでしたが、5年後の淡路市で何処まで出来るか?
・TLC養育センター。
・AAP社訪問。
・シーテックス社訪問。
・メモリアル中・高校訪問。
・警察・消防署訪問。
・芸術スタジオ等の見学等、等。
報告は別途します。
2011年04月28日
セントメリース市の二日間。
25周年を数える歴史を、私たちは大事にしなければなりません。
・28日市庁舎にて歓迎セレモニー。
グレッグ・フリーウオルト市長、蓮池議長等と調印サイン等を挙行。
市庁舎の周りの見学、ライラックの植樹等をしました。
・Abbey International Ltd.を訪問。
ネルソン社長と再会を果たすとともに、会社のスタッフと意見交換をしました。
「淡路市の長期コンセプトはどうか?」という質問があり、合併して6年しか経っていないこと、
地形の問題、財政状況などを含めて、中期までは出来ているが、長期は作成中と答えました。
英語での微妙な表現があり、正確に伝わったかどうか微妙です。
明確な淡路市の指針等の冊子を英語版も含めて作る必要が有ります。
・夕食は、スタッフを含めて意見交換の場となりました。
セントメリース市は、極端に黒人の姿が見えません。
・この日の宿泊は、ノーブル家でホームステイ。アメリカの裕福な家を、実感しました。
大きな家にご夫妻が二人だけ。
二人の息子は、テキサスとニューヨーク。空軍の将校と銀行マン。自慢の家族のようでした。
僕の寝る部屋は、いわゆる勉強机は無く、家族の思い出の写真が一杯に貼ってありました。
飲みながら映画を見ていた二人を残して、さっさと奥さんが寝てしまわれたので、僕も寝室に引き上げました。
静かな環境の穏やかな街並。アメリカの夜も同じ。
セントメリース市28日午前0時30分
ウエストブルームフィールド図書館で、大歓迎を受けた後、デトロイトからデントン空港へ。
出向けのバスでセントメリース市のホテルへ。
歓迎セレモニーの後、チェックイン。
洗面台の上でこれを書いてます。10名とも疲れていますが元気です。特に女性4人は、インデペンデント・ガールズです。食べる、寝る、喋る。淡路市は大丈夫です。
午前中ウエストブルーム図書館を表敬訪問し、姉妹図書館のサインを改めてしました。
Clara bohrer Director と。
挨拶は、いつもユウモアにあふれているのですか、と現地の日本の女性から聞かれました。
普通にした積りでしたが?
挨拶に入る前、銀髪の図書館委員の方が、僕を励ましてくれました。
貴男は、30歳だいですか?と聞いてくれた方でした。息子のように思われたのでしょうか?
2011年04月27日
デトロイト26日のその他の事
報告します。歴史を体感しました。詳しくは別途報告します。
ヘンリー・フォード博物館の中の、ケネデイー大統領が暗殺された時、乗っていた実物の車。
玄関で。
音楽博物館Motown Historical の前で。黒人の深い歴史を垣間見ました。
リンカーン大統領が暗殺された時、座っていた椅子。血糊が付いていました。悲しい歴史です。
デトロイト・リバーからカナダを臨む。
デトロイト・タイガース球場の前。
野茂英雄選手のサイン。
百聞は一見にしかずを、体感しています。
デトロイト27日午前6時
これまでの報告をします。
21日出発式の市庁舎での光景です。
市民、議員、職員等のみなさん有難うございました。
25日伊丹空港団員10人です。
デトロイト国際空港周辺は、クリーンエネルギーの風力発電が多用されていました。
流石です。
米国最初の夕食は、ホテルの隣接のレストランでした。
その量に圧倒されます。
糖質制限ダイエット中の僕にはキツイです。
ともかく、カウボーイの国アメリカ本土に上陸しました。
これまで、正式な交戦状態の中で、米国本土をたった一機だけ攻撃した日本人の後輩として、静かにアメリカを感じてきます。
デトロイト26日23時
在デトロイト日本国総領事館での歓迎レセプション。
松田総領事ご夫妻、岩渕専門調査員と領事館員の皆様、本当にお世話になりました。
有難うございました。
松田総領事より、細川さんに宜しくとのことでした。
ウエストフィールド図書館の委員、と副館長にも参加していただきました。
米国本土で念願のスタンド・バイ・ミーを弾きました。次のステージは弾き語りです?
淡路市とミシガン、オハイオ両州の繋がりの深さが分かりました。別途詳細報告します。
2011年04月26日
デトロイト現地時間26日午前9時5分
やっとコンピューターが作動。
使節団員10人全員無事です。
全米9番目の規模を誇ったデトロイトも、今は斜陽。ただ、米国人の食欲と、その体力には今更ながら驚かされます。
我々の先輩たちは、良くも悪くも、こんな民族と喧嘩したものです。
敗戦も已むなしか。
2011年04月24日
気持ち新たに
気持ちの持ち方。
16年前の阪神淡路大震災の時、職務は、県庁土木部の総務課長。
大げさに言えば、最前線に居ました。その時以来、自粛的な気持ちの中で、海外出張、旅行は行きませんでした。自宅や墓の再建も10年以上経ってからでした。
不思議なもので、去年、旧津名町から引き継いだ姉妹都市調印式には市長自ら行かなければならない事になり、ブラジルのパラナグア市へ出張。
今年は、旧北淡町と米国オハイオ州のセントメリース市との25周年イベント。前回は、セントメリース市から来日していただいているので、今回はこちらから出張ということになり、国際交流協会を中心に使節団を編成しました。
結果、去年は地球を西回り、今年は東回りして一年足らずの間に、一周することになりました。
女性の美しさは、男性の気持ちの有りようで変わると言われますが、阪神淡路大震災前は、ゴルフを中心にしてあれほど行っていた海外旅行もそれ以降は、全く行く気がしませんでした。
そして今回、東日本大震災の後、職務とは言え渡米する不思議な巡り合わせ。
特に、ケビン・メア米国務省日本部長の沖縄屈辱発言は、マスコミ等で大きく取り扱われましたが、最近、メア氏本人が、「米軍基地再編を妨げようとするグループの歪曲」、「報道は、講義から二カ月半後に出席した学生が作成したとされる信憑性の無いメモに基づくもの」と全面否定。
形として栄転で事を済まそうとした国に対し、家族の名誉の為に、抗議としての退職を選択したと報じられています。まさに気持ちの持ちよう。
今回の大震災、諸外国、特に米国に依存している状況の中で、一般の米国民がどう感じているか聞いてみたいと思っています。
いずれにしても、子供の頃に憧れていたカウボーイの国、静かに感じてきます。
時代は、人が創る。
民主革命
佐伯啓思京都大学教授によると、
「市民税減税と議員報酬のカットをセットとして議会と対決し、議会との対立を演出する事で市民の支持を得る、名古屋市長河村方式。民意の直接的な反映という意味に解すれば、民主主義革命と言える。
しかし、大衆への依存は無限のポピュリズムに陥るか、もしくは、大衆を利用した一種の独裁に帰着する。これは、民主主義の陥る最大の罠で、議会主義は、この欠陥を是正するものであった」
指摘は正しい。
政治が議論によって推移するのでなく、対決する姿勢、劇場化(錯覚なのだが)、によって政治が動かされていくと衆愚政治。
議会における議論や説得が民主主義の基本であったことを、忘れてはならない。
議員活動と政治家の活動。言うまでもなく、前者は仕事で後者は選挙のための行動。これらの認識を問われるのは地方議会に多い。国会のように秘書を持っている議員が多くないからです。
橋下徹大阪府知事は、
「今までの地方議会は、行政が出した案に文句を言うだけだった。議員同士が政治をしないといけない局面にきており、議会がまさに政治での一定の方向性を決めていかなければならない」
として、旧来の利益誘導型の政治の限界を指摘している。
兵庫県でも三木市長と県知事の議論が有ります。
執行権と議決権の勘違いもまだまだ解決されていません。
ま、革命かどうかは別にして、議論はいいことです。
さて、淡路市は?
2011年04月23日
旅立ち前に
土曜日早朝、雨風の市役所に勤務する職員の姿。組織であるからこそ。
危機管理部長から、「派遣の管財課職員は、順調に目的地に向かっています」との報告。
東日本大地震対応への意見。
・風評に惑わされ買占めに走る国民。
・官邸の機能不全、自衛隊も官邸の機能不全の犠牲者。
・未曾有の国難にどう立ち向かおうかという発想は無い。
・時薬の薬効は、悲しみの風化であってはいけない。
・リーダー不在という人災。
・危機に臨んでテキパキと大胆な手を打ってゆくという気構へが、政府にも日銀にも無い。
・人、組織は、とてつもない困難に直面した時、真の姿、値打ちがわかる。
・日本人が示した忍耐や秩序正しさ、礼節、勇気、思いやり。国難に耐えうる日本人の矜持。
・必要なものは、迅速な決断、明確な方針。
・災害時には、命の次に重要なのは情報。
・日本人は、息をつめて辛抱すれば、いずれ春が来ると思っている。
・戦後教育の課題、自衛隊の活動、活躍をどう総括するのか?
・有事には平時の平等は無い。求められるのは、平常心。救援と復興の過程の作業は、綺麗ごとでは済まない。
・自己責任こそ自由の出発点。
・大事なのは、起こる前に考えること。
・国会に議論が無い。
さて、色々と意見等が有りますが、人それぞれの思いもそれらには、反映されていると思います。
批判しかしない人達の姿は、今の原発事故にも、「完璧に予見していた」と言いながら、災害支援には触れない。情報は歪曲する。自分達だけが良ければ良いという発想はどこから来るのか?理解しがたい国のようです。
(閑話休題)
南海地震は、1854年、1946年と、安政、昭和と起きています。次は百年以内の周期とすれば、この平成。備えなければなりません。起きる前に考える。
県病や小学校の建設位置が災害時に不安という意見が有ります。
淡路市も、埋立地を含め、早期にそれらの災害時対応を見直します。
2011年04月22日
政策決定者の責任
何でもそうですが、結果責任を取る者こそ、決定者としての資格があるはず。
しかし、今の日本、何処かおかしい!
・群家地域交流広場事業。
震災復興事業の共同住宅の空きスペースを利用して、今日、オープンしました。
・県幹部の異動、歓送迎会。
送別。国生み協会副理事長・原田一二三さん。長棟健二県民局長。
歓迎。同上・小畠稔(ゆたか)さん。 藤原道生県民局長。
お世話になりました。そしてこれから宜しくお願いたします。
・明石市長選挙。
2011年04月21日
支援の輪の広がり
宮城県南三陸町に派遣。
被害の甚大であった町への一般事務支援として、22日から10日間、市の公用車持込で、宿泊施設も無いので寝袋持参で行ってもらいます。体に気をつけて頑張ってきて下さい。
管財課の奥村主幹と飯田係長です。
スロー・リーデイング
小説家・平野啓一郎さんによると、「量の読書、網羅的な読書より、質の読書、選択的な読書へ発想を転換し、作品の奥、言葉の森を分け入る。」
速読中心の世の中に背を向け、1冊の本を噛みしめるように味わう。
僕には耳の痛い言葉でした。
・洲本市民との面談。
・淡路市民との面談。
・淡路市病院整備検討委員会委嘱状交付。
・セントメリース市友好親善使節団事前研修と出発セレモニー。
・同上壮行会。
・市民との意見交換。
2011年04月20日
訓練
有事に対して強くなるためには、日頃からの備えが大事。
例えば、人間は暗闇に弱い。当然、停電は困る。まず。懐中電灯をすぐ使用出来る所に置いておく事が必要。そして、常に使用出来る状態にしておくことも重要な、チェックポイントです。
・22年度決算見込み等の協議。
今後10年間程度の財政収支見通しを協議しました。
予測の方法、投資的経費の見込み、給与の見直しなど多岐にわたりシュミレーションし、平成28年度以降の対策を議論しました。
・県企業庁の来庁。
新体制になって今後の事業展開などについて、指導などしていただきました。
・行政相談淡路地区連絡協議会総会。
防災安心センターで開催されました。
苦情救済、行政運営を国民の視点から担当する。国民の命と生活を守る相談委員の会。
・オハイオ州セントメリース市派遣団打ち合わせ。
・国生みマラソン委員委嘱状の交付。
・淡路市議会議員OB会総会。
パルシェで開催され、忌憚の無い意見交換をしました。
(一言)
0時30分頃、震度2の地震。同時に関東でも。備えなければならない!
2011年04月19日
正風会の例会
淡路島観光ホテルで卓話をしました。
テーマは、「淡路市の企業誘致について」の概要。
1企業立地奨励制度対象企業 14社(内5社が市外より)
2淡路市企業立地奨励制度概要
(要件)
(1) 指定業種(製造業、電気ガス熱供給業、情報通信業、宿泊業、医療業、教育関係等
(2) 投下固定資産総額(5千万円~10億円事業)
(3) 新たに常時雇用する市内在住の従業員数(3名~20名以上)
(奨励金の種類)
(1) 立地奨励金(固定資産相当額3~7年間交付)
(2) 雇用奨励金(新たに雇用した従業員1人につき10万円、3~5年間1千万円限度
(3) 明石海峡大橋、大鳴門橋通行料金、水道使用料助成(法人市民税相当額を限度に
3~5年間)
(4) 下水道使用料助成(1㎥×50円=30年以内年間5百万円限度)
3主な誘致企業の経過等。(最初も最後も人)
(1) 山本光学(株)防塵マスク、スポーツ眼鏡などの製造販売
(2) 東洋合成工業(株)半導体関連の製造
(3) N社 製造関連、技術研究所、加工場など。
4淡路市内にある主な未利用地
(1)市有地 19件 173ha
(2)県有地等 4件 202ha
5花博跡地の利用
(1) 具体的な動きが有ったもの ・住宅用地・学校用地・宗教施設用地・海外投資等
(2) 今後考えられる施設等 ・病院・療養施設・ショッピングモール・卸売り市場
道の駅・飲食施設・カジノ等
(3) 提案等が有ったもの ・食文化大学院・アニメ漫画ミュージアム・長大プール
学校・カジノ等
パソナグループ さわかみ投信 台湾資本等。
6淡路市の今後
*多極分散型都市経営と、生き延びるための知恵。
(一言)
義理と友情でご参加いただきました有志諸氏に、衷心よりの御礼を申し上げます!
・県農産園芸課長の来庁。
・県簡易水道協会の監査。
・(株)フローラルアイランド野田社長の来庁。
・柳学園前理事長の来庁。
2011年04月18日
ここから村入社式
市立アソンブレホールで開催されました。45名市民増です。
企業誘致の一つの形です。パソナグループのアイデアに淡路市も応えなければなりません!
これ本当の話です
拓殖大学大学院遠藤教授によると、
「薄っぺらなパホーマンスや、政治主導と言う名の素人主導が混乱に拍車をかけている。指導者は、冷静に全体状況を把握し、問題を整理し、信頼出来る責任者を任命し、動けるテイームを作り、職務遂行の環境を整える。そして、国民、諸外国に向かって決意と自信を示す」
敗戦から65年、我々は日本に何をしたのか?
愛するものの為に身を捨てていった英霊達の心を無駄にしてはならない。今こそ。
心に響く言葉、大胆な決断と構想、国民の忍耐強さを賞賛される日本、でなければならない。
今こそ、言語明瞭意味不明のインチキを打倒しなければならない。
・パソナグループ「ここから村」入社式。
・セントメリース市友好親善使節団研修会。
・市民と明日を語る会。
(参考)
児童生徒数見込み(H23.4.18)
・未就学0歳289人 5歳355人。
・小学校23年度2,223人 29年度1,982人
・中学校23年度1,233人
終に、0歳児が、300人を切りました。6年後の小学校が、2千人を切る。
身の丈に合った地域運営のためにも、企業誘致が急がれます。
2011年04月17日
支援の輪の広がり
東日本大震災支援・派遣保健師の報告会。
中野、清水保健師。淡路市インターネット放送が有りますので、参照して下さい。
洲本市の保健師さん達と。
臨場感溢れる説明会でした。別途ブログ参照。
大震災の支援
16年前の阪神淡路大震災の時と決定的に違うのは、津波と原発。長期戦必死は目に見えています。
震源地の市として一般的に知られている淡路市、長期の支援に対応しながら、短期の自身の災害対応に備えなければなりません。
・賀茂神社春の例大祭。
晴天に恵まれ多くの人で賑わいました。
・第37回淡路市楽唱会大会。
淡路市地域総合センター(ふるさとセンター)で開催されました。
踊りが主体の楽しいイベントでした。
・東日本大震災支援・派遣保健師の報告会。
仙台市若林区へ、応急対策として、5日~12日まで支援活動しその報告会を開催しました。
質問の主なもの。答えは、淡路市インターネット放送を参照ください。
・眼科の医療状況はどうか?
・保健師自体の生活はどうか?
・(株)北淡との意見交換。
門下市塾で開催しました。
其々、16年前の震災の影響を、今、前向きに活かしています。
2011年04月16日
加東市制5周年記念式典
平成18年3月に、社、滝野、東条の三町が合併して発足。県内29番目の市になりました。因みに、淡路市は、27番目です。
人口は4万人弱で、面積は、淡路市より少し少ない程度です。
加東市やしろ国際学習塾LOCホールで開催されました。
淡路市役所から、一時間10分ほどで着きました。静かな田園が広がるローカルシテイー。中国縦貫道路が市内を横切っているアクセスの良さから企業も多く、昔から、ゴルフ場も多い穏やかな街です。
担当は、企画部企画政策課。
住みよいまちから、住みたいまち、がスローガンでした。
さて、正しい情報、正確な情報が重要なのは間違いないが、その実態を把握するのは、容易ではない。
何故なら、人間と言う不確かな存在が介在するからです。
今回の東日本大震災。16年前と同じ事が繰り返されていますが、中でも決定的に違うのが原発。
「発生後約1時間、ルース駐日大使が首相官邸に電話し、全面支援意思を伝えたが、官邸からは音無し」
「24時間後、米政府が米軍の出動を正式に申し入れたが、官邸も東京電力も、自分達で収拾できるという感触だった」
「在日米軍は、福島原発専用の非常時対応ハンドブックを作成済み。本来はテロ攻撃専用であったが、地震と津波でも初期対応マニュアルがそのまま活かせるはずが、政府も東電も無視」
「非常事態という認識の欠如で、自然災害から、人的災害、政策災害に繋がっている」
などというマスコミの指摘が有りますが、これらがもし真実であれば、この不作為は、犯罪に等しい。
隠さずに、必要な情報を誤解がないよう十分な説明を付けて公表しなければ、この不信感、留まることを知らない。
2011年04月15日
あさひプロジェクト活動冊子
地道な教育研究のまとめの冊子が出来ました。
志筑、生穂、学習、石屋、北淡、育波、郡家の7小学校の労作です。地道な活動が、淡路市の明日の教育の扉を開きます。
詳細は、教育委員会へご照会下さい。
・東洋合成工業(株)との面談。
・福祉総務課と病院整備の協議。
・総合リハビリテーション専門学校中谷正史学長との面談。
・塩田下司町内会の義援金。TOP別掲。
・市民との面談。
・ジェノバ(株)との面談。
・郡家交流広場。
・企業誘致の協議。
・産業振興部の協議。
・送別会・
何故か忙しい一日でした。
支援の輪の広がり
塩田下司町内会から、義援金を預かりました。
3月の松帆神社の祭礼の見直しで出てきた浄財です。気持ちのこもった支援です。
*淡路ルートサービス(株)からも義援金を預かりました。
きちんと見える形で届けます。
2011年04月14日
兵庫県公館
歴史が未来を創る。兵庫県公館は、登録有形文化財です。
・関電エネルギーとの面談。
原発の見直しで、エネルギーの考えも多様化しています。
・パソナグループの意見交換。
神戸クルーザー・コンチェルトでのひと時でした。
淡路島共和国が、キーワードでした。
野田多摩大学名誉学長、丹下都市設計社長、葛西松稲会理事長などと。
南部代表ご夫妻と。
・県・市町懇話会。
震災関連では、面的な被害に長期にかかる支援。過剰な自粛、風評被害に留意。
淡路市としては、避難路の等の見直し、津波対策の見直し。
市町村税の徴収率向上も印象に残りました。
・歓送迎会。見送る人、迎える人。其々の人生。幸多かれ!
(一言)
友からの電話。余命半年の告知が有ったとか。言葉無し。良い人は先に逝くと、先人は言い残しているが。
その時歴史が動いた!
神戸クルーザーコンチェルト。
キーワードは、淡路島共和国。
パソナグループ南部代表等と、詳細はブログで。
2011年04月13日
節目
日本が太平洋戦争で敗北したのは、1945年、昭和20年。その年生まれた世代は66歳。
節目が好きな日本人、40歳を過ぎると不惑、織田信長は、「人生僅か50年」と敦盛を本能寺で舞ったと言われている。
60歳で還暦を祝う。
65歳になると、正規の年金が受け取れ、介護保険被保険者証が支給される。淡路市では、高齢者の達者で長生き運動プール・温泉共通利用権も受け取れます。
所謂、正式な高齢者で、それから10年頑張ると、後期高齢者の仲間に入れる。
日本の敗戦は、9月2日。昭和20年4月2日~昭和21年4月1日生まれの世代は、戦中、戦後を跨ぐ唯一の世代。
その世代の全員が、65歳になる年、それが、2011年平成23年の今年です。
・淡路市農業青年クラブ総会。
平成19年に設立され、16名のメンバーで、仲間作りやプロジェクト研究に取り組んでいます。
・淡路市消防団幹部会。
定数1873名の組織が、淡路市の安心安全を守る核です。
宜しくお願いします。
・東日本大震災支援保健師派遣報告会。
2011年04月12日
支援の輪の広がり
東浦酒小売組合(多田会長)から義援金を預かりました。
息の長い支援が求められています。
其々の関わり方
17日日曜日13時から、防災安心センターで、派遣していた保健師の報告会を開催します。
地元で頑張る被災者、遠隔地で被災者を思い自主停電する人、そしてボランテイアの数が足りないという情報。
自己満足を満たすためではなく、的確な対応が求められています。
・東浦酒小売組合から義援金。TOP別掲。
・東浦民生児童委員協議会総会。
・津名フォトクラブ作品展。
西岡善一郎先生の、パラナグア市の作品。門下市塾の掲示板別掲。
上は、パラナグア市のバッカ市長夫妻と私。下は、ミス・パラナグア。
・東浦公民館。
日本に唯一有る、クリントン国務長官名(当時大統領夫人)の盾。
・(株)北淡との意見交換。
・英会話。
・市民との意見交換。
2011年04月11日
あの日から一カ月
悲しみを乗り越えて
・部長級会議。
・理容組合総会。
46名の組合員、しづのおだまき館で総会をしました。
市の状況等を説明して、挨拶とさせていただきました。
・師友塾の方々と、将来の淡路市の教育環境等について、意見交換をしました。
・県税徴収員派遣職員辞令交付。
・英会話。
・歓送迎会。
・花見。
今年も花冷えの中、仲間が集いました。
2011年04月10日
春、桜、祭り
各地域で其々の祭り。
中田伊勢神社。
朝の出立ち。今年は堀町内会、来年は勝木(しでのき)町内会。
三百年続いていると言われる、伝統祭礼行事、梯子獅子。市無形文化財。市としても守っていかなければなりません。
・円城寺。
本尊観世音菩薩、金毘羅大権現御開扉祈願大祭。
真中は、淡路国生み協会の小畠副理事長。
地域の住民の方も花見を楽しんでいました。
・いろり庵。
忌憚の無い意見交換、淡路市の将来を市民は考えています。
・県議会議員選挙。
洲本市は、新人の候補が当選。一つの時代の終わりを感じました。
2011年04月09日
春の雨
今年の春雨は、心なしか寂しい。
・生田村交流広場オープン。
旧生田保育所の再利用として、県民交流広場事業を活用し、オープンしました。
記念イベントとして、フラダンス、踊り、長沢の大正琴などの披露の他、お蕎麦の振る舞いなどもあり、多くの人達で賑わいました。
・第一回淡路レデイースサッカーフェステイバル2011。
淡路サッカー育成事業運営委員会主催で8テイームが、佐野運動公園で9~10日覇を競います。
プラセル神戸の代表・監督の山口剛さんの意見。
「風よけの対策、防風林か防風ネットの設備、そして夜間照明が有れば、佐野運動公園は最高です」
まさにその通りです。実現に努力します。
・商工会青年部総会。
・興隆寺意見交換会。
2011年04月08日
クイーン淡路の来庁
第31代二人が来庁されました。
魚住知代さん(北淡)、長野愛さん(岩屋)、お二人とも淡路市在住です。これから1年、淡路島の各種行事等で活躍していただけます。
心の糸
多くの人が知らない、阪神淡路大震災復興ソング。
「心の糸を解かないで、この街を捨てて行けない。心の糸を結び直して、俯かずに歩いて行くわ」で終わる。
東北で余震が続いています。派遣した職員の無事を祈念しています。
・クイーン淡路表敬訪問。偶然、二人とも、淡路市在住、私が投票した方々でした。TOP別掲。
・東浦公民館老人大学・ふれあい学園。
合併の検証を講話しました。
・企業誘致活動。
・県立淡路病院の来庁。
・事業仕訳の協議。
・洲本実業東浦高校の跡地の利活用についての協議。
・仮屋、森漁協との意見交換。
・東浦平和大観音像の協議。
・市民との意見交換。
・淡路広域水道企業団、東日本大震災、応急給水支援派遣。
日本水道協会と連携し、岩手県南部に派遣。
4月14日~5月2日 延べ6名。
2011年04月07日
情報操作
それも手段と言われればそれまでですが、インチキはいずればれる。
それよりも、知らない事で、見過ごす事は多い。
・故ケネデイー大統領が、最も尊敬する日本人に、上杉鷹山を上げたエピソードは有名。
そして、鷹山の死後、米沢藩が見事な財政再建を果たした故事に、淡路市は倣わなければならない。
・新渡戸稲造は、米国人女性と結婚、クエーカー教徒となり、英語で「武士道」を書いた。
国際人であるからこそ、日本の愛国者であり、その懐の深さを倣わなければならない。
・作家・嵐山光三郎は、来世があるとは信じていないが、死後のことは死んでみないと分からないとすれば、来世が在ると信じたほうが楽しみである、と述べています。どうにもならない事は、拘らないのがいいということか?・・・
いずれも、深い意味のあることで、一過性のものではない。
目先の情報操作で当面を繕っても、長続きはしない。
東日本大震災の復興は、阪神淡路大震災の復興より二倍以上かかるでしょう。
思い付きではなく、本気でかからなければならない。
2011年04月06日
支援の輪の広がり
線香組合(石井理事長)から義援金を預かりました。
被災者に届けます。
粘り強く、長く丁寧な支援が必要です。夫々が出来る事を、的確にしましょう!
建設業協会(葉坂会長)から義援金を預かりました。
建設業にも影響が出ているようです。
皆で力を合わせて頑張りましょう!
年度当初の行事
挨拶等の日程が並びます。
・洲本土木高木港湾課長。
今回の人事異動で、西宮の方へ栄転されると言うことで、懸案事項等の経過等を伺いました。
・藤原県民局長の来庁。
・監査委員。
第三セクターの状況等について意見交換をしました。
・線香組合石井理事長・震災義援金。TOP別掲。
・建設業協会葉坂会長・震災義援金。TOP別掲。
・聖隷病院の協議等。
・島内交通の協議等。
・市民。
・淡路土地開発公社。
・紀淡連絡道路実現期成同盟会の監査。
・姫路陸上自衛隊村田中隊長、浦川中隊長の来庁。
災害などについての意見交換。
・セントメリース視察団事前研修会。
2011年04月05日
市内視察
新しい年度の行動規範を求めて。
・関西総合リハビリテーション専門学校入学式。
123名の新入生に、淡路市を代表して祝辞を申し上げました。
3年後大きく育ってもらうことを祈念しました。
・そばカフェ生田村交流広場。
生田保育所が大きく生まれ変わろうとしています。
正式オープンは、9日午前10時です。
試食の風景ですが、味はなかなかのものです。
施設も生まれ変わりました。旧小学校跡地の境にある桜も蕾でした。
地域の名所になることを、祈念しました。
一度、訪問してください。原則的に、土日の営業です。
・市内視察。
・洲本観光グループ新役員就任披露祝賀会。
2011年04月04日
支援の輪の広がり
東日本大震災・保健師派遣の壮行会。
中野輝美、清水靖子保健師を仙台市若林区へ派遣しました。体に気をつけて頑張ってきて下さい。
2011年04月03日
学校の常識
僕は、高等学校の現場、教育事務所、そして県の教育委員会を経験してきました。
それなりの教育のノウハウも経験しました。
学校現場は、ある意味、大学なども含めて閉鎖された世界です。その世界の中で、校長先生になりたくない教職員が多いということです。
しかも、管理職になった人が、降任を希望するのも増えているというデータが有ります。
「校長や現場との板挟みになり、負担が重いと感じている」という分析が有ります。
閉鎖された世界、相手は子供達、「学校の常識は、社会の非常識」と言われる現実、それに絡むモンスター・ペアレント。
子供たちはそんな環境を微妙に感じています。
先生と生徒の関係を、「友達から師弟に戻さない限り、教育の再生はない」とまで言っている社説も有りました。
淡路市のあさひプロジェクトが、その突破口になることを信じています。
・市内視察と意見交換。
・東日本大震災淡路市支援物資等輸送隊報告会。
淡路市防災あんしんセンターで開催しました。
商工会、建設業協会、JA、漁業協同組合、市議会、そして部長級等会議メンバーなどが集まり、情報の共有と相互連携を図りました。
今後の課題は、継続して支援活動をすると言う事です。
淡路市としての喫緊の課題は、津波対策等の見直し、液状化対策などです。
humane slaughter
慈悲深い虐殺とは、食肉用の牛や豚を、なるべく苦しませずに屠殺すること。
米国には、法律まであって、「屠殺の前に気絶させるべき」とあるそうです。慈悲深く鯨を殺せば捕鯨は許されるのでしょうか?
自分のことは置いといて、の見本か。
「日本人を怠惰で活力の無い者にした原因には、ーーー過保護なまでに保護されている社会」と曽野綾子さんは指摘されています。
自分への保護、援助は当たり前、不平不満だけ言い続ける、これでは真面目に働く人達が情けなくなるでしょう。
真面目で、普通の人達が、孤独な形に追いやられる社会は、どこかおかしい。
情けないといえば、国旗、国歌を裁判で争う感覚。世界の常識が、日本では堂々と非常識と裁判で争われています。それほど民主主義、オープンでいい、という人もいます。
・柳沢東の春祭り。
ここでも、東日本大震災の義援金活動をされていました。
ダンジリは、西の上と下とで三機出ています。
今年も見事に菜の花が咲きました。
最後に餅ほりで挨拶しましたが、この地から、「元気を送りましょう」とエールを送りました。
2011年04月02日
支援の輪の広がり
東日本大震災へ多くの方々の心が届いています。
淡路市文化会館で、薫寿堂の福永社長さんから、82人の社員を代表して、義援金を受け取りました。
4日月曜日17時30分から、輸送隊の報告会が、淡路市防災安心センターで開催予定です。
各地域で粛々と
日本人の美徳を、竹田恒泰さんはこう述べています。
・日本人が持つ正義と勤勉な価値観。
・日本食が世界のグルメに変化をもたらした。
・もったいないという概念。
・伝統、文化、宗教などを基底にした、もの造りの技術、労働への取り組み。
「本来の日本人は、自慢話を嫌い、言葉も控えめにする」何所かで、そのバランスが崩れています。
・薫寿堂(福永社長)さんから、震災義援金の受け取り。TOP別掲。
・第4回久野乃、菜の花かかし祭り。
今年も、多くの人で賑わいました。交流人口、過疎化の田舎には必要です。
・市民の結婚式。
おめでとうございます。
日本の復興とともに、歩まれます。幸多かれと祈念しました。
・塩田地区町内会総会。
淡路市の地域経営の要です。宜しくお願いいたします。
2011年04月01日
教育委員会事務局専用棟
これまで事務室等が散らばっていた教育委員会が、津名事務所2Fに集約されました。
森教育長と、看板をかけました。
執務がしやすくなります。来訪をお待ちしています。
ミスター・ノーマンも居ます。
平成23年度の始まり
今年度は、実行の年。
・辞令交付。異動、派遣、新規採用など多くの人生です。
・部長級会議。
・東北関東大震災の被害者に対して黙祷。
・淡路市支援輸送隊は、無事、行動中。
(優先順位)
1今年度の処理すべき案件の確認。日程を明確にして対応する事。
(広報と報告)
2情報を的確に迅速に共有するこ事。
(綱紀の粛正)
3事務処理は、公平、公明正大にする事。
・新年度訓示。
・県議会選挙。原議員の当選が決まりました。おめでとうございます。
・教育委員会事務所開き。TOP別掲。
・消防団員任命交付式。
・淡路広域水道企業団辞令交付。南あわじ市の本庁でしました。
・志筑地区連合町内会総会。
平成23年2011年4月1日 挨拶概要。
持続可能な行政運営を目指し合併した淡路市は、10年計画の後半、二年目に入り、残り4年間で、基礎的自治体に必要な各種施策を推進し、同時に、平成28年度からの交付税減額に備える財政運営等を確立しなければなりません。
(財政運営)
・ 東北関東大震災の支援等を視野に入れながら、将来負担比率等の確保、行財政改革を推進し、一定の財政計画の策定をして、身の丈に合った行財政運営を確保する。
(事業執行)
・ 多極分散型の地域運営に配意し、火葬場、合併施設、安全安心対策の整備等、特に合併特例債に配意した必要施設の各種整備の推進をする。
(街創り)
・ 企業誘致が進み、半世紀動かなかった河川、道路改修等が進行する目に見える動きが出てきた淡路市の将来像は、世界的観光立島・淡路市の夢に繋がるものでなければならない。そのための後継者育成と、これまで苦労して築き上げてきた風土を活かしながら、残り4年間の期間のタイムスケジュールを明確にしなければならない。
これらはいずれも、冷静、迅速、的確に真の意味での市民目線に沿って進めなければなりません。
淡路市職員として7年目、皆さんは、良い意味でも悪い意味でも過渡期の柵の中にいます。
公務を司る者としての責務として、
・ ベストを目指しながら、自分が何が出来るかを考える事。
・ 組織の連携を図り、協力体制を確保する事。
・ 迅速に、的確な市民サービスに努める事。
これらに配意して下さい。そして、各人が、夫々の目的を明確にし公明正大に行動する行政サービスに努めて下さい。
今年は、職員の意見を参考にして、組織改変も最小のものにしました。2課増(入札管理、子育て応援)1課減(建設2)。人事異動も総数156(実質80名減)としました。
適正規模の職員数に対処するため、淡路市は今のところゼネラリストとしての職員運用が求められています。
職務についても、タスクホース(機動部隊)的な運用も求められます。
健康に留意し、トータルとして市政運営を効率的にするため、民主主義の理念に基づき、党利党略に捕らわれた視点を排除し、毅然として事業の執行に努めて下さい。
結果責任は僕が取ります。
失敗を恐れずに頑張って下さい。