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2011年11月22日

淡路環境未来島構想特区の3次評価ヒアリング

東京日帰りの強行日程で、参加しました。

淡路環境未来島構想 総合特区 申請の場で、3市を代表し説明した概要。

淡路島もまた、他の例に洩れず、過疎、少子、高齢化に悩んでいます。
人口は、敗戦後の最高の時から比較すると、4割近く落ち込んでいます。明石、鳴門の両橋の架橋で、便利さを得た代わりに、事業所等の流出等により、雇用の場も失われています。
都会で働く青年から、フェイス・ブックで訴えてきた言葉は、「いつか きっと帰れる街創りをして欲しい」でした。
そのためにも、地元、3市が一丸となって、必死で取りくんできました。今回、この特区構想の検討を始め、戦略としての「共和国」宣言を柱として、再生エネルギーの活用、農と食の人材育成など、先行して、事業を進めています。
県から、淡路独自の支援措置をしてもらい、民間事業者の活用も推進しています。
例えば、統合により廃校にした小学校の施設を、パソナ・グループに無償譲渡し、植物工場や加工場など若者達の活動拠点、雇用の場として活用してもらう計画を推進しながら、耕作放棄地をパソナの実習農場として活用してもらう事で、地権者の了解もほぼとっています。
この構想の推進のため、洲本市、南あわじ市、淡路市の3市が連携し、協議会を設立して、これまで以上の情報の共有と相互連携を図っています。
規制緩和や権限移譲、財政支援など、国の後押しを是非、いただきたい。それが無くても、不退転の決意でこの構想に取り組む覚悟でいます。
折角、国の大事業として実施していただいた明石、鳴門両橋の架橋で得た利便性が活かしきれていません。負の面、生活・雇用の場の減少、多様な交通体系の崩壊が顕著です。
身の丈に合った地域創りに努め、「いつか きっと帰れる街創り」のために、是非、宜しくお願いいたします。

所要時間は、トータルで20分。プレゼンテーションは10分ですから、タイトな時間でした。
県からは、高井政策監、藤原県民局長、西身体ビジョン課長、森屋洲本市副市長、川野南あわじ副市長、木田協議会副会長、山本パソナグループ専務、そして山田企画総務課長など、傍聴も含めて20人程が参加しました。

帰路、東浦の渡り食堂で、反省会をしましたが、カナダから来られている、有名な風刺漫画家の御夫妻と話が出来ました。
淡路島の魅力を語っていただきました。
事情が有り、長くは話せませんでしたが、私のブログをみてくれているそうですので、次回を楽しみにしていますと、お伝えいたします。