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2011年11月26日
苦境に効く文章。
Terminal Care。
人は何時か必ず死ぬ。そしてその孤独の時を、安らかに過ごすための介護医療。
その時の心境になれば、我欲に捉われる事なく公平な判断、正しい情報を伝えられるはずなのだが?
「---我より他に知る人も無し---されど友、在り。」(読み人知らず)
その心鏡で説明します。
1タコフェリーの意味。
明石海峡大橋は、国道28号ですが、125ccのバイク、自転車は通行不可で、これまで、タコフェリーが補ってきました。フェリーの休止によりそれらの通行は不可能な状態になっています。
淡路島の国道28号は、ナビにこう記載されています。「四国街道」。架橋前は、自転車等の往来は保障されていたわけで、架橋後、担っていたタコフェリーが休止であれば、公共がそれを保障しなければならない。
その代行を、ジェノバが「してやろう」と提案したのですが?
いずれにしても、タコフェリー続行を提案した者が、まず案を考えるのが常識であるはず。それと、淡路市に着岸施設が有るからという発想そのものに、公共交通を誰が考えなければならないかという、そもそも論の欠如が有ります。
国民の公共交通の確保こそ、其々の行政の責務なのです。
2未利用地等の処分方法等。
これまで、この事については、何回も言ってきましたが、まだまだ議論の本質に触れる返答が無いので、敢えて論及します。
まずそもそも、公園、河川、道路、公共施設等以外の用地にあっても、個人が国家に税金を払って持たしてもらっている状態、個人所有を国家が保障しているだけなのです。
市有地も同じ事です。活用してこそ意味が有ります。
無償譲渡を、無償というだけで拒否反応を起こす人達が居ますが、間違いです。
未利用地とその上に施設が有って、地元に利用を呼び掛けても全く無し。そして公募で利用を募集する時、施設の除却費が、未利用地の売買価格を上回るので無償として、市の財政負担を少なくし、相手に財産を保有させることで税収と雇用の確保を図る、という条件設定をして事業の推進を図っています。
山本光学に、旧北淡東中学校跡地を提供して、雇用と経済、地域の活性化を図った時も、反対をした人達が、今、その環境整備に喜んでいます。当時も同じ説明をしましたが、無償という言葉だけに反応して地元に説明した人達が居ました。
現在は、沈黙したまま。工場が動き、若者の雇用も図れ、蘇った校舎にOB達も一定の評価をし、何よりも近隣の住民の人達が喜んでいます。その事の定着に、3年かかりました。
*いずれも、素直に、事の本質を確かめれば安らかになります。