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2012年02月17日

雨上がり決死隊

「明日に架ける橋」
海峡・明石に降る雨はーーー。

ご尊父が、淡路市塩尾出身の、福谷弘先生の名著、「津名学の覚書」に、「昭和60年代、津名町民の間で、津名は洲本を超えたと自負する声が囁かれた。「洲本引け」を心配する洲本市民も居た。しかし、それは縦貫道の開通が、津名・一宮インター開通から、明石海峡大橋の開通までの僅か、10年。洲本引けが起こるにしても、遠い将来の事で、有り得ない事ではないが、有りうる事でもない。
淡路一市は正論であったが、明石海峡架橋が結果として妨げた。
津名と三原を捨て、淡路市、南あわじ市が誕生、有史以来の興隆時代を迎えた津名の存在とは、如何に、島の振興に貢献することが出来るのかで有る。島の将来は、新生「淡路市」の双肩にかかっており、島の玄関都市として、全島的視野に立った地域、街創りが望まれる。」と有ります。
数少ない淡路市在住の起業家の青年は、「明石架橋は、島であるがゆえに支えられていた商売を壊滅状態に追い込んだ。それにまともに立ち向かう事が出来るようにするのに、凡そ10年を要しました」と表現していました。
物事全て、表裏、明暗が有るのは道理ですが、「代替道路の無い、生活道路としての国道、明石海峡大橋は無料(化)」は、島民の悲願でした。島という利点を活かして有った雇用の場(船員等)、生活の拠点(船乗り場の店等)は壊滅し、そして高額な料金の橋が残った。
車のナビに記載されている、国道28号の「四国街道」の屈辱が、「淡路環境未来島構想特区」の引き鉄になりました。
正義、正論が理解されないのであれば、「共和国宣言」をしなければならなかったのです。

さて、今後の本四高速料金が検討されていますが、

これまでも訴えてきた、「明石海峡大橋の無料(化)」は、長年に渡る島民の悲願であり、ましてや、生活道路としての一般国道28号線であることから、継続して訴えていきます。
昇る朝日と沈む夕日に彩られる世界一のつり橋、明石海峡大橋、雨に霞む橋の風情は、世界遺産の一端を担う名橋。
涙雨のままにならないことを祈念いたします。

(今日一日)
・タコフェリーの協議。
・職員の退職協議。
・職員の派遣協議。
・県議会議員さんの来庁。
・教育長との意見交換。など。