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2012年09月01日

長月

菊月とも言われますが、9月初日。
今年もあと4カ月。

今年度の実質上の後半スタートの初日、市役所の休日に勤務などする職員の姿が、見られた。
何でも行政批判の傾向の中で、それなりの成果を、淡路市は徐々に積み重ねています。

暫く前、自動車プレートを、神戸から淡路島に替える提案で、色んな方々から意見を聞きました。
若い年代層は、殆ど反対でした。
米国の東部ニューハンプシャーのプレートには、LIVE FREE OR DIE とあるそうです。
「自由に生きる。さもなくば死を」
米国民に根付く建国時からの自己責任の気概を表したものだそうです。米国の医療保険の議論で、「権利か自由か」の論争の根幹に有るものです。

国保の制度でも同じ議論が有ります。
市民同士で助け合う共助の仕組みと、税金を公助としてどう使うか。
生活保護についても、上田埼玉県知事が、「彼等をどう立ち直らせるかでしょう」と言われています。
自己責任の言葉は重い。

憲法9条問題でも、福島瑞穂参院議員(弁護士)は、「他国からの攻撃にはどう対応するのか?」との問いに、「9条で世界を侵略しないと表明している国を攻撃する国が有るとは思えない。攻撃する国があれば世界中から避難される」と答えられています。
しかし、それは想定だけで、助けてくれなかったら、彼女はどう責任を取るのか?
拉致なんかは、局地戦と同じことではないのか?
自分は安全と思われる所に居て、リベート楽しんでいる人は信用出来るのか?

淡路市役所の責務は、市民の市益を守ること。命、環境、生活の維持など、あらゆる想定の元に、対策を講じる姿勢が大事です。