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2012年12月13日
三期目の記者発表。
昨日、出雲議員、今日、蓮池、五条、松本議員に答弁し、その後、記者発表しました。
・その主な概要です。
決意表明(蓮池久志議員)
8年前、推薦に当たって議論中の公明党本部の状況の中、議員は明確に、私の支持の意思表示をしてくれていました。
以来、情報を共有し相互連携する中で、駐車場料金の適正化、国保税の見直しなど議論を重ねながら解決してきました。まさに二元代表制の神髄であったと思います。
又、時には冗談に、どちらが本当に苦労した母子家庭かを競ったものでした。
さて私の市長選挙は、縁と友情の旅立ちでした。
兵庫県を中途退職し退路を断って、帰郷。そこで再会したのは、叔母、故門正世(私立郡家託児所長)と亡き母、門ミユキ(津名保健所保健婦)などの目に見えぬ後援でした。
そして、市民有志と共に歩んだ、8年間の実績は、大きく三つに整理出来ます。
1赤字の回避。(行財政改革。将来を見越した財政運営)
2企業の誘致。(雇用の場作り。定住人口の確保)
3工夫した事業執行。(ソフトランデイング。バランス。先導性)
また、戦術としては、
(1)五町の融和。
(2)市行政の確立。
(3)身の丈に合った街づくり。
(4)工夫ある市づくり。
(5)今後の整備等。
(6)全島的な事業に対する先導的貢献。
そして、
H25~28年は、
1 教育の充実(後継者対策)
2 企業誘致 (雇用、定住人口の増加対策)
3 観光事業の更なる推進(集約から散開、淡路島振興)に反映されます。
これらは地道な中長期計画と連携しています。
・淡路島の長期計画等。
2001・H13.4 淡路県民局(総合事務所化)の政策課題。「行政合併」
2002・H14.3 淡路地域ビジョン推進プログラム。
2003・H15.3 風土光学的手法による淡路地域イメージ戦略調査事業。
・大きな歴史の流れ。
明治22年大久保香川県議が本四架橋を提唱。
昭和28年原口神戸市長が明石海峡架橋構想の調査準備。
昭和60年鳴門海峡大橋開通。
平成 6年関西国際空港開港。
平成10年明石海峡大橋開通。
そして、
・淡路市の長期計画等。
2005・H17.4 淡路市
2007・H19.3 淡路市総合計画「淡路のウエルカム・シテイ」(地方自治法)
こうした総括に基づき、夢として、「世界的観光立島」を掲げ、現場の戦術としては、「身の丈に合った市政運営」を断行し、市民と共に着実に歩むことを胸に刻んでいます。
これまで通りぶれずに実行することをお約束しまして、三期目立候補の決意表明とさせていただきます。
決意表明(五条正仁議員)
9年前、神戸で淡路市長選挙の話が出た時、議員とも共通の先輩であった故・小久保北淡町長が、「門、苦労するぞ」といっておられました。
その言葉が的中したのは、民主党政権になったある日、明石海峡大橋の料金提言要望の時でした。
電話が、知事からかかってきたのは午後9時前後、要件は、明日、東京への陳情を宜しくとの事でした。従来の陳情手法は使えず、新神戸駅へ県、三市、関係団体者が集合、五条議員から紹介してもらった議員に、新幹線の中から携帯で連絡を取り、運よく繋がった電話一本で、無事要件を果たすことが出来ました。
県庁の部長から、「流石剛腕」と言われましたが、それも、人脈と人脈が微妙に作用した結果でした。改めて御礼申し上げます。
さて、淡路島は、江戸時代に人口7万人から17万人と増大しました。漁業、農業の第一次産業が堅調であった結果です。
淡路市は8年前に合併し、基盤としてのその第一次産業を継続しながら
・岩屋は淡路島の玄関口(渡哲也記念館計画、田の代海岸の再整備、ジェノバ便を確保し自転車等の移動交通、松帆の湯、道の駅の活性化等)
・北淡は文教施設の推進(五斗長垣内遺跡、震災記念公園、等)
・一宮は物づくりの拠点(お線香、ミツ精機、ムネ製薬等)
・津名は、都市機能集積ゾーン(市役所、三和、タコ煎餅、イオン、等)
・東浦は、交通結節点の利活用(道の駅・フローラルアイランド等)
・中央は、高速道路、夢舞台群・花さじき、パワースポット等とゾーニングは完結しました。
今後は、西、東海岸、南北の二眼レフ的視点の手法で、市域としての一体感を、散在する教育施設群を活用し、田園・文化学園都市として、そしてサイクリングに代表される、スポーツとリンクする観光都市として活性化を図っていきます。
1 財政を健全化しました。財政指標を堅持しながら、暫くは大丈夫です。
2 5町をまとめました。ソフトランデイングで地域の会話を優先しました。
・地場産業の育成強化。(室津漁協事務所建設。のり産業支援。お線香。等)
3 市民の安全安心施策。弱者等のセーフテイーネットの構築。
・聖隷病院の確保。(救急医療、産婦人科、終末医療)
・危機管理部の設置。
4 教育施策。
・子供達の適正教育環境構築のための、幼、保、小学校の統廃合。
・事務局専用棟の確保、一体化。
・あさひプロジェクト。特定財源の節減戻し。
・教育懇話会、教育研修所の設置。子供議会。
5 観光施策。
・西海岸、東海岸構想の展開。
・世界的観光立島・淡路市宣言。
・スポーツ、グルメ、観光で交流人口の増大。
6 企業誘致施策。(江戸時代、人口7→17万人。生産力の増)
・山本光学。(北)
・東洋合成工業。(津)
・パソナグループ。(岩、北、東、津)
・AIE国際高等学校。(東、北)
・熊田鋳造所。(津)
7 地域のバランス整備。
・浅野文教施設群(北淡幼稚園、プール)
・一宮中学校体育館。
・市民交流・給食センター建設。
・東浦道の駅再整備。聖隷淡路病院新設移転。
・松帆の湯の確保。ジェノバ便の維持。
8 先導的施策の推進。
・環境未来島構想特区(共和国宣言=明石海峡大橋無料化)
・太陽光発電施設の建設。
・学校特区。
・子供議会等。
*今後の展開。
「いつかきっと帰りたくなる 街づくり」の推進。
A 健全財政。
1企業誘致。
2行財政改革。
B安全安心。
1弱者対策。
2マニュアル化。
C後継者育成。
1教育。
2研修。
議員、ご提案の通り、今後もご教授いただいた人脈などを大事にすることをお誓い申し上げ、三期目出馬の決意表明とさせていただきます。
決意表明、淡路市長3期目について。(H24.12月議会答弁)(松本英志議員)
1 感謝。
平成20年12月本議会の冒頭、津名高校の先輩である松本英志議員に、「地域の将来を冷静に分析し、美しい淡路市の創生に臨みます。」と決意表明をしてから、早、4年の年月が過ぎました。
それに遡ること4年前、多くの先輩や後輩、そして共に時代を過ごした故郷の人情に助けられて新生淡路市の初代市長として今が在ります。
以来、公務員人生の中でも、365日まともな休みが一日も無い8年間でしたが、多くの方々に支えられ充実した、8年間でした。改めまして感謝を申し上げます。
ただ、小学校1年生の時の通信簿所感欄に、「潔癖過ぎる。」と記載された性格が災いし、人として譲れない規範が高すぎるきらいが有り、議員を含め、有志の方々にご心配をかけ続けた8年でもありました。この場をお借りして、本心から、お詫びとお礼を申し上げます。
2 実績。
(1)基本姿勢。
①集約のメリットを活かす。
②地域の融合、融和を図る。
③継続的財政運営の適正化を目指す。
(2)スケジュール。
H17~20年・器の形成。
1期目。スローガン 「明石海峡大橋無料化」
マニフェスト「ふるさと五弁の花の集約」
実績概要 1 5町の融和。
2 赤字の回避。
3 バランスに配意した整備。
H21~24年・戦略の展開。
2期目。スローガン 「世界的観光立島・淡路市」
マニフェスト「身の丈に合った市政運営」
実績概要 1 企業誘致の展開。
2 観光施策の推進。
3 行財政改革の断行。
これらをイメージとして言うなら、1期目は、5地域を融和し、地域格差を解消、1次産業を基軸に地域の活性化を図り、縮小を覚悟して量から質を高めるサービスを目指す、身の丈に合った市政創りでした。
2期目は、維持した財政再建に更なる歳入の確保と歳出の整理を断行して基礎を強固にし、企業誘致の積極的展開、後継者育成の観点から特色のある教育を推進して、淡路市の優位性を実証しました。
3 決意表明。
そして、未来です。
不効率な地形課題をダブルスタンダードの施策展開により、自然豊かな観光資源溢れる淡路島のゲートシテイ―を目指し、ワクワク感のある夢に繋がる、世界的観光立島・淡路市(島)の実現に近づける事です。
H25~28年・市行政、市域としての確立。市長就任一年目の記者会見でも言いましたが、
これまで通り、1融和・融合 2財政確立 3未来整備を基軸としながら、
3期目。スローガン 「淡路島を世界遺産に」
マニフェスト「いつかきっと 帰りたくなる 街創り」
目標 1 教育の充実(後継者対策)→民度の高揚。
2 企業誘致(定住人口の増加対策)→健全財政(行革)
3 観光事業の更なる推進(集約から散開、淡路島振興)→安全安
心対策(弱者対策・マニュアル化)
議員を初め、多くの市民の皆様と共に、明日に向かって一歩踏み出すことをお約束し、今後共のご支援をお願いしまして、淡路市長、三期目立候補の決意表明とさせていただきます。