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2015年03月09日

惜別の詩

人には人の逝き方が有るが、僕のは誰かが詠んでくれるのだろうかーーー。
(概略)
10年前、君を含めて淡路島全島から十数名が集まりました。
居合わせた後輩が、「門さん、今日は何の集まりですか?昔の淡路島の悪(ワル)が全員集合しているみたいですが?」と声をかけてきました。
津名郡5町合併、淡路島の歴史が動いた、新生淡路市長選挙の始まりでした。あれから10年、やっと落ち着いてきた淡路市のこれからという時に、君は奥さんと共に黄泉の国へ旅立っていってしまった。
お互い立場は違っていましたが、同じ公務の行政に身を置いた事もあり、正義の闘いを共に続けてきた10年でした。

幼稚園から中学校まで、ほとんど毎日一緒に過ごし、高校は技能に興味を持っていた君は洲本実業高校を選び、家の前の津名高校を選んだ僕とは違う道を進むことになりました。
しかし、会うとすぐ子供の頃に戻りました。

就職は、君は津名町役場、僕は兵庫県庁と同じ公務員生活を歩むことになり、色々なことで協力しあって来ました。
津名高校跡地への大学誘致、津名港の港湾整備、津名高校のう回路の整備など、君が津名町の先輩たちと協力して成し遂げた功績は大きい。

一昨年の年末、飲みたがっていた「千代の縁」を、早朝、玄関に届けたことが有りました。不在のようだったので、その旨をメールで打っておきました。
返事は、子供さんから有りました。「未明、体調を崩して入院した」という知らせでした。

それからの闘病生活は大変だったでしょう。ご家族、ご親戚、そして何よりも親身になってお世話していただいた病院の院長はじめ多くの皆さんに、衷心より厚くお礼申し上げます。「有難うございました。」

時折訪ねた僕に、君は逆に僕に励ましの言葉を送ってくれました。
「市長、頑張てな」と。

奥さんの訃報の後、君の訃報を重ねて聞いた時、不思議な事に違和感は、感じませんでした。
「やっぱりな」という思いが有りました。
奥さんは、君を置いていくのが嫌だったのでしょう!

時は不思議な演出をしてくれたものです。
敗戦から70年、阪神淡路大震災から20年、そして淡路市合併から10年、このような歴史の節目に、ご夫婦と別れる事になろうとは、時は残酷なものです。
10年前、二人で、奥さんの手料理の朝食をいただいたのが昨日のように思い起こされます。

時の気まぐれは私たちに何を語りかけてきたのか。
いつかは、誰にもきっとくる不条理と分かっていながら、今、深く重い悲しみが体の中を吹き抜けていきます。

このような別れの言葉は、幾ら積み重ねても虚しい。
あの世という世界が有るのならば、奥さんと一緒に楽しく過ごして下さい。
僕達は君の遺志を継いで、この世で、もうしばらく頑張ってみます。

心からの、心からの弔意を持って贈る言葉と致します。

「さようなら、君、そしてさん。」
「さらば、友よ!」

2015年三月九日   同級生、友人代表  淡路市長 門 康彦

(主な出来事)
・部長級会議

・友人の葬儀

・市民の葬儀

・ウエステイン・ホテルと面談

・高砂市訪問

・洲本市殺人事件の印象
 淡路花博15周年記念事業を目前に残念。節目の年に、貝原俊民前知事の交通事故死についでの有りえない事件。次の無い事を祈る。

・ストップザ交通事故県民運動淡路地域推進協議会総会。森副市長。