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2015年07月07日

故郷の雨

「市長の言う、雨の意味は?」と問われて直ぐに答えが出ませんでした。
七夕の日に雨模様。自然は粋な計らいをしてくれました。
市長室から見える未利用地にも、しとど、雨が降り続いていました。

表現とは難しいもので、ウイットに富んだユーモアも相手に理解されなければ、誤解を与えただけで終わってしまいます。
暫く前、私的な会合の挨拶で、「今日は本当は他の行事に行く予定だったのですが、××の会だから無理をして参加しました。」と言ったら、多くは笑ってくれましたが、中の一人に、「来たくなければ来なかったら良かったのに。」と言われました。この人にはユーモアは通じないと感じました。

2015H27年  淡路市現状分析等(未定稿)

1合併10年の検証(11月29日(日)しづかホール)
(1)企業誘致 聖隷淡路病院産婦人科開設→ 「ふるさとで赤ちゃんを産もう運動」

(2)兵庫ディオーネ→ 「ワクワク感の醸成」→雨天練習場、夜間照明整備

(3)ふるさと納税→  多様な使途

(4)財政再建→実質公債比率19.7%除く震災14.6% 財政再生基準35%
        将来負担比率229.2%同上185.7% 早期健全化基準350%
       *マイナスからプラスに転じました。

2喫緊の展開予定の主な事業等
(1)北淡地域  事務所周辺整備 舟木遺跡発掘

(2)岩屋地域  ポートビル再整備 田ノ代海水浴場再整備 フェリーボート跡地整備
         鵜崎埋立地護岸整備等

(3)東浦地域  夢舞台整備(ニュータウン住宅、小中一貫校、認定こども園等)

(4)一宮地域  郡家川、 山田川浸水対策 道路環境整備

(5)津名地域  小中一貫校 図書館整備 事務所再整備 生穂川浸水対策

3地域戦略
(1)淡路市東京事務所開設 佐渡島との提携

(2)新造船運航(まりん・あわじ)7月10日津名港8月2日岩屋港9月22日明石港
                 9月23日125CC以下バイク乗船開始

(3)公共交通整備 市内回遊バス神戸、洲本市への延長。中川原、四国新幹線対策 

*淡路島考(時代の流れ)
1淡路島の人口は、
 江戸時代150年程前は、約7万人程度と言われている。
 島の人口が最高になったのは、1945年敗戦の年、23万人程度。
 2015年現在は、14万人台、凡そ10万人の減少。
 70年前から比べれば人口は減少しているが、江戸時代から比べれば、まだまだ倍居る事になる。しかし、島都と言われた洲本市の選挙人名簿人口は、既に、淡路市より少ない現状です。

2時代の流れの節目
 30年前鳴門海峡大橋が供用開始され、津名一宮インターが開設されて10年間ほど、洲本市の福谷学先生の津名学に、「津名引けが起こった、これからは津名の時代」と記されていましたが、それも10年間。明石海峡大橋が開通して、島民は利便性という最高の明を手に入れましたが、多くの船員等の雇用の喪失、船着き場等の生活の場の壊滅という暗も同時に受け入れる結果となった。そして、四国街道と言われる淡路島の利用は加速しました。
 四国新幹線は、国家の悲願として残っていますが、淡路島が、関西国際空港建設の挫折で失ったものと得たもの、その評価は難しい。

3教育環境
 淡路市は、未来を担う子供達の教育環境を整えるため、保育所、小学校等の統廃合を進め、適正な競い合いの出来る教育施設を推進している。
 県等における学校施設は、1市10町の時代、現淡路市地域に、分校も含め5校有りました。現在は、県立津名、淡路高校、私学のAIE国際高校、関西総合リハビリテーション専門学校、関西看護医療大学、そして県立大学の景観園芸学校と多様化して6校在ります。
 学区再編で、淡路市は明石、神戸、芦屋へも行ける事になり、選択肢も含め、多様な教育環境を享受しています。(合併前5校 合併後6校)

4東京1極集中「義理を尽くし 屈辱に耐えて 強かに生きる」