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2015年08月23日

伝えなければならないこと・その1

淡路島の水道事業について 2015H27.8.20 文責:淡路市長 門 康彦

淡路島は過去の歴史の中で、夏の渇水問題が最大の課題でした。
1999年平成11年、明石海峡大橋を利用した本土導水により以降、上水の渇水課題は解消されました。
視点を移せば、それまで、四国の吉野川導水を切望していた事柄が不要となった事から、その時、淡路島は庚午事変(稲田騒動1870年)の呪縛から離れて、真に兵庫県に帰属することとなったと言えます。

(統合までの経緯概要)
1982年昭和57年 2月 淡路広域水道企業団設立(1市10町)
1989年平成 元年12月 兵庫県知事統合を条件に本土導水許可を厚生大臣に要望
1998年平成10年 4月 明石海峡大橋開通
1999年平成11年12月 全島一斉給水スタート
2002年平成14年 3月 淡路地域水道事業合併基本計画(17年4月1日統合目途)
2003年平成15年10月 水道事業経営統合に関する確認書(22年目途に統合目途)
 *行政合併を優先することを理由に統合を5年延期
2010年平成22年 4月 新・淡路広域水道企業団統合(企業長 門康彦)

(検証)
淡路島1市10町時代、10人の首長と議長が吉野川導水より本土導水を現実案として要望、その約束として、平成17年の全島統合を約束するが、行政合併を優先する事で5年延期。3市となったが、統合は進まず、淡路市が実質リードする形で平成22年約束の最終年で統合を実現した。

(淡路送水分水協定)
本土導水は、県水から神戸市水道そして淡路広域水道へと玉突き状態となっている。渇水時においては、基本協定書第5条で三者協議となっているが、平成11年12月3日に行われた全島給水記念式典で、来賓として参加された神戸市の山下彰啓助役が、「神戸空港開設準備に当たり、淡路島から受けた恩は忘れません。神戸市が渇水になったとしても淡路島への水は確保します」と述べられた。(2006年平成18年2月神戸空港開港)
(参考)
*統合まで。兵庫県企業庁→(神戸市)→企業団(問屋)→3市→市民等
 統合後。 兵庫県企業庁→(神戸市)→企業団(経営)   →市民等
      14万4千人 年間給水予定量1700万㎥ 職員数76人体制
*水道事業統合までの道程(論文)元企業団副企業庁 林敏一氏(別紙)

・主な出来事(門日誌)
・淡路市国生みプロジェクト。森副市長

・第40回淡路市音楽祭。しづかホール。那倉教育部長。

・女子プロ野球。兵庫ディオーネVS京都フローラ。グリーンスタジアム(ほっともっと神戸)