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2015年09月30日
去る人来る人
副市長と教育長の人事案件を提案し、議決されました。
森和重さんは任期満了、黒地貞三さんは療養のため、金村守雄元総務部長、広田利幸前津名中学校長へお願いしました。
有難うございました。そして宜しくお願い致します。本日、市議会において、議員17人全員により、人事案件が同意されました。
・主な出来事(門日誌)
・第59回市議会最終日
副市長職について
市長を支えるトップマネージメント強化の観点から、内部的な市長の補佐にとどまらず、職務の執行を明確に位置づける自治法の改正がなされた。2007H19.4.1
淡路市は、2005年平成17年新市として出発した時点から、副市長制度を導入した。
副市長、助役の職務は、市長の補佐と、職員の事務監督の他に、「市長の命を受け政策、企画をつかさどること」と、市長の職務代理の他に、「市長の委任を受け事務を執行すること」が加えられた。
目的とするところは、日常的、実務的な事務は、副市長に大幅に委ねられることが出来、市長の役割は、より高次で政治的、対外的なものを中心とすることで、副市長の役割は、受任者の権限として執行する重大な役割を担っている。
また、副市長の身分は特別職であり、政治的な視点からの言動も要求され、市職員、市民等との扇の要的な存在でもある。
その心労は計り知れない。
(淡路市副市長)
冨岡篤太郎 2005年平成17年6.17~2009年平成21年6.16
2009年平成21年6.17~2011年平成23年9.30
森 和重 2011年平成23年10.1~2015年平成27年9.30
金村 守雄 2015年平成27年10.1~2019年平成31年9.30
*2005年平成27年4月1日総合教育会議(新教育長)設置
(淡路市教育長)
内海 孝 2005年平成17年4.1~2005年平成17.6.17
2005年平成17年6.18~2009年平成21年6.17
森 和重 2009年平成21年6.18~2011年平成23年9.30
高田貴代志 2011年平成23年10.1~2015年平成27年3.31
黒地 禎三 2015年平成27年4.1 ~2015年平成27年9.30
廣田 利幸 2015年平成27年10.1~2018年平成30年3.31
新教育長制度 2015H27.4.1~
平成27年度から改正地方教育法が、施行されました。
従来は、教育委員会の最高責任者として教育委員長と事務局のトップの教育長が併存、違いが分かりにくく、2011年大津市中学生自殺(いじめが原因とされている)の教育委員会対応に「責任の所在が曖昧」などと批判が集中し、法改正に繋がったとされています。
責任体制を明確にするため、新教育長は首長が任命し(任期3年)、教育委員長職は廃止。
総合教育会議を設置し、首長と教育委員会が協議する。なお、教育行政の最終権限を持つ執行機関は従来通り。
淡路市は法の趣旨を尊重し新教育長を任命しました。
30団体は、経過措置が認められている、これまで問題は無かった、教育行政の安定性、継続性を考慮した等と任命を回避。
任命した12市町は、淡路市を除いて、旧教育長と元教師。
これまで、「学校と教育委員会がかばい合っていた」、「組織としての風通しが良くなかった」という課題に応える意思が希薄なように思われる。
懸念されることとして、「教育の中立が保たれるのか」といった指摘が有りますが、それは制度ではなく中身の問題。法は国民の為に有るので、そう努める人間を選択すればいい。
また、「教育委員会制度は、政治や一般行政から独立し、市民が話し合って決めるのが出発点だった」と市民参加の本来の仕組みが弱まらないかという意見が有るようですが、そのこと自体に問題が有ったから今のような状況が輩出されているのではないのか?
人は生活を基盤として生きていかなければならない。芸術家や特殊な技能を持つからと言って人間の実存は変わらない。
教育の現場、関係者においてもそうで、生活から切り離されての存在はあり得ない。
議論を尽くされての制度改正、趣旨に沿った人事の考慮、同志が無かった事に違和感を感じています。
長いものには巻かれろ、触らぬ神に祟り無しの思考からは何も生まれない。残念な事です。
・優良運転者等表彰式。淡路警察署
・部長級会議
・森副市長退任式
ご苦労様でした。お元気でお暮し下さい。
・市議会議員と部長等との意見交換会。道の駅あわじ
・関西看護医療大学理事会