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2015年12月02日

惜福

惜別の詩
「追悼 貝原俊民さん」発行「(一財)地域政策研究会」から届きました。」
全ページ447、内92ページ。
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夢舞台への想い(貝原俊民氏追悼文)淡路市長 門 康彦(かどやすひこ)

時の貝原俊民兵庫県知事を語るとしたら県財政課を抜きには語れません。私は、貝原財政課長から直接薫陶を受けた事は有りませんが、総務部長、副知事、そして知事と歴任される間、直接間接に、厳しく優しいご指導を受けました。
私の知り得る限り、超の付く優秀な公務員でした。本会議場において、財政課の議会担当をしていた頃、知事が質問された事で、自分で即答出来たのは一つだけでした。
「淡路島出身の作家で詩人が居たが?」「阿久悠です」知事は答弁の中でそれを引用されました。
そして1995年未明、阪神淡路大震災発生。復旧、復興に土木部総務課長として仕えながら聞いた言葉、「これを奇貨として、単なる復旧では無く、創造的復興とするため、淡路夢舞台プロジェクトは凍結しない」カナダのブッチャードガーデン等を参考にしながら始まった壮大な淡路島北部開発事業の始まりの言葉でした。
国際会議場、ウエステインホテル、植物園、美術館、国営公園、警察署、学校等が集積する地域の中で、未利用であった淡路市の花博跡地に病院を誘致し、淡路市で27年ぶりに新生児が誕生、島外から誘致した企業が複数開業し、淡路市ニュータウン構想(サステイナブルシテイ―)は、住宅開発を残すのみの街を形成しています。全く何も無かった地域に咲いた夢舞台。貝原知事の贈り物と市民は喜んでいます。
2005年、5町合併の新生淡路市長選挙、イベント開催の主賓を誰にしようかと迷い、藤本和弘副知事に相談すると、「お前が直接頼んだらしてくれるだろう」と言われました。遠慮しながら訪ねた私に、「君は財政課出身だろう?何でそんな財政の厳しいところへ行くのかね」と笑顔で言われました。「ふるさとが呼んでいます」短く答えた私に、「そうか、頑張れよ」と返事をいただきました。
門康彦と共に新生淡路市を語る会が開催出来ました。淡路市しづかホールが満員になり人が溢れたのは、今でも、それが最初で最後です。
人の運命は分からない。2014年11月、貝原前知事事故死の連絡が私に入ったのは、ウエステインホテルに貝原前知事が寄贈された、フェルメール・真珠の耳飾りの少女の陶板画の前でした。そして、非情にも加害者は淡路島縁の者。まさに歴史は小説よりも奇なり。
財政課在職中、時の知事から政策秘書の招聘が有ったようで、藤本和弘財政課長から、「門は財政課で使うと断っといたで」と伺った事が有ります。30年以上前の一期一会が巡り巡って夢舞台で繋がりました。有難うございました。


・主な出来事
・協議
 ・入札審査会報告
 ・旧室津保育所改修施設の利活用

・合併10周年地域功労表彰伝達。

・淡路島市長会

・企業誘致。大阪