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2016年12月03日
同窓会とは!?
番城ケ丘の校舎に問う(未定稿)
人は生まれ学び知性を得ながら、本能を抑えることで動物から人へ変化する。
人が指摘されて多くが反省しないのは、自己防御の本能が覚醒するからです。
反省するどころか、指摘が正しければ正しいほど、逆恨みするのが大半で、結果、多くは言動を控えてしまう。古井戸の中のようなある意味、平和な世界の田舎においては顕著な傾向です。
古井戸の中の世界をかき回す者は、例え正義の味方「月光仮面」であっても敵視されてしまう。
テロリストにも正義は有り、彼らにとって不都合な者は敵、そして敵の意見など聞く気はない。孤立して滅ぶことも彼らにとっては正義であり、他者の不幸や未来など存知の埒外となる。
時の知事、故貝原俊民知事は、県立津名高校の移転地先を津名の埋め立て地と決めていました。
時の町長、故柏木和三郎町長は諸般の事情で、知事の懐刀、故板野英彦副知事に嘆願し、副知事は財政課職員門康彦にその処理を命じました。
県道66号線津名五色三原線に繋がる裏門の道は、学校関係者が時の門康彦淡路県民局長に依頼し、学校完成までに整備されました。県財政課、県教委、県議会、旧津名町、地権者等の接点に居たのが私だったからです。
そして、2005年平成17年4月の移転新校舎のテープカットに淡路市初代市長として県財政課の仲間、時の吉本教育長と共に参加しました。
時は、時として面白い演出をするものです。私は、津名高校15回生、追試験で卒業証書を手にした初めての学生でした。津名高校が進学クラス1組を創設した初めての1組の大学に進学した生徒の中で、後輩にエールを送る会に私だけ、招聘をされませんでした。
(省略)
思えば、事を成し遂げるためには長い蓄積が必要で、そうした歴史が母校には稀薄、理由は複数あって簡単なことではないようです。
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しかし、100年近い歴史を誇る母校津名高校が、後一歩で甲子園という夢を見させてくれた後輩たちに感謝し、さらなるエールを次世代の現役に送って駄文を終えます。
一回も授業を受けたことない番城ケ丘の校舎、愛着が無いのは当然で、淡路高校の団結力を実感しながら、母校の次の一手の捨て石になることを決意しています。
故郷の闇は深く広い。
ここに今は書けない行間の密度に期待して、書斎から見える校舎にもエールを送りながら、
「斬れずに今一度襟を正さねばならない」と心に刻んでいます。
(新生なった同窓会にエールを送りつつ、期待をするとともに、出来る事での応援を致します!)
・主な出来事(門 日誌)
・バーベナ淡路総会。さくら
・第11回県障害者芸術・文化祭。県障害者福祉大会。しづかホール
歓迎のご挨拶をしました。
・セントメリース市派遣団OB会。モスタージ
・大地・エーワン・Christmas Party。ホワイエ
・第11回淡路市人権を考える集い。ふるさとセンター。金村副市長