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2017年02月17日

ZAPPAI考

雑俳(雑俳句)考

淡路市唯一の造り酒屋「千年一」、その女将さんから雑俳の名句を紹介してもらった事が有ります。
季語不要な自由な俳句。
「運不運 秀やんおらと同い年」(記憶)。今でも淡路島だけに残ると言われている雑俳句。16年前淡路県民局長に就任しての祝いの会で、島の文化の事が話題になった時も、雑俳という事は知りませんでしたが、不思議とその俳句だけは知っていました。

時の鉄道大臣、永田秀次郎(晴嵐)が、洲本港から故郷の旧緑町倭文まで凱旋の提灯行列をした時、沿道で見ていた女将さんの父君が詠まれた名句です。
永田家は、今、県議会議員の秀一先生が守られていますが、縁を遡ると、淡路市志筑に在住されていたこともあり、繋がりが深い。
時代を100年ほど前に遡ると、当時、淡路島の人口集積地と言えば、福良(南あわじ市)、由良(洲本市)、志筑(淡路市)の三か所。津名郡洲本町の有志が、用地を無償譲渡しカネボウ㈱を誘致、後の1市10町の礎を築き、今の三市に繋がっています。
以降、鳴門海峡、明石海峡の大橋架橋を経て歴史は動いてきました。
そして、又、歴史は動こうとしています。明石海峡大橋の料金が、乗用車片道での3250円から900円に値下げられたからからです。
架橋後島を襲った明と暗。津名地区も明石海峡大橋が開通するまでの10年間、洲本からの津名引けが起こったと、福谷学先生の津名学の著書に有ります。しかし、明石海峡大橋架橋後は津名も又、通過交通の過疎の嵐に巻き込まれました。
5町合併は、淡路市を設立し、課題に応えて身の丈に合った地域運営をするための戦術でした。そして、この12年間で、着々とその礎を築きほぼ形は整いました。

さて、私は父親を1歳の時、亡くしました。父親という存在は、不存在。感覚として、有りません。10歳年の離れた姉とは似て非なる感覚が有るかと思いますが、所謂、「母子家庭」。
半世紀以上も前、中学生の時、その気持ちを、雑俳に託した事が有ります。「母子家庭水で割ってお茶を飲む。母子家庭富士のように凛と立つ」
この句を誉めてくれた、本当の悲しみを共有した友は、既に鬼籍。多くの若者たちにエールを送りたい。
亡き母は、母子家庭の団体「共励会」の初代会長。その会報に、思いを書いた事が有ります。


主な出来事(門 日誌)
・3月議会ヒアリング

・面談
 ・広域水道

・総合教育会議

・仁井地区市政報告会

・秘書会