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2017年05月04日

みどりの日

みどり=グリーン=マイカラー(最近突然現れた東京女子とは全く関係有りません)

番城ケ丘の校舎に問う(一部抜粋、未定稿) 
                                                              人は生まれ学び知性を得ながら、本能を抑えることで動物から人へ変化する。
人が指摘されて多くが反省しないのは、自己防御の本能が覚醒するからです。
反省するどころか、指摘が正しければ正しいほど、逆恨みするのが大半で、結果、多くは言動を控えてしまう。古井戸の中のようなある意味、平和な世界の田舎においては顕著な傾向です。

古井戸の中の世界をかき回す者は、例え正義の味方「月光仮面」であっても敵視されてしまう。
テロリストにも正義は有り、彼らにとって不都合な者は敵、そして敵の意見など聞く気はない。孤立して滅ぶことも彼らにとっては正義であり、他者の不幸や未来など存知の埒外となる。

時の知事、故貝原俊民知事は、県立津名高校の移転地先を津名の埋め立て地と決めていました。
時の町長、故柏木和三郎町長は諸般の事情で、知事の懐刀、故板野英彦副知事に嘆願し、副知事は財政課職員門康彦にその調整役を命じました。

県道66号線津名五色三原線に繋がる裏門の道は、学校関係者が時の門康彦淡路県民局長に依頼し、学校完成までに整備されました。県財政課、県教委、県議会、旧津名町、地権者等の接点に居たのが私だったからです。

そして、2005年平成17年4月の移転新校舎のテープカットに淡路市初代市長として県財政課の仲間、時の吉本教育長と共に参加しました。

思えば、事を成し遂げるためには長い蓄積が必要で、そうした歴史が母校には稀薄、理由は複数あって簡単なことではないようです。

今となっては、「是非も無し」ですが、何処か釈然としない。

しかし、100年近い歴史を誇る母校津名高校が、後一歩で甲子園という夢を見させてくれた後輩たちに感謝し、さらなるエールを次世代の現役に送って駄文を終えます。

一回も授業を受けたことない番城ケ丘の校舎、愛着が無いのは当然で、淡路高校の団結力を実感しながら、母校の次の一手の捨て石になることを決意しています。

故郷の闇は深く広い。
ここに今は書けない行間の密度に期待して、書斎から見える校舎にもエールを送りながら、
「斬れずに今一度襟を正さねばならない」と心に刻んでいます。

・主な出来事
 ・市内視察