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2020年02月25日
シンコロ
新型コロナウイルス。
中国から世界に流行とされている。
南北の韓国の情報が定かではない。無事で有る事を祈る。
・主な出来事(門 日誌)
・部長級会議
コロナウイルス対策等
・新年度予算記者発表
(15年のは、記事解禁3月2日とさせていただきます)
淡路市長就任10年に想う(再掲) 2015.H27.5.8
京都南禅寺、哲学の道に雪が舞っていた。電話の向こうから短い言葉が返ってきた。「門君、俺はもう故郷を捨てた」。あれ程、熱い想いを持っていた多くの友はもう居ない。
そして、平成17年5月8日深夜、当選を祝う会場に市の職員が訪問してきました。
当選祝いの言葉と共に、「明日、9時に出勤をお願いします」と伝えてきました。
選挙の整理などで徹夜。翌朝、出勤して当選証書の授与、職員訓示と続き、それから10年ほとんどまともな休みの無い日々を走り続けてきました。
67人の市議会、一人で答弁をしたために「やり過ぎ」と評価され、県と市の立ち位置に
気づくのに時間を要しました。理論先行の前者と現場としての結果責任者の後者。似て非なるものが有ります。職員と共に闘うため心に刻んだ言葉は、「義理を尽くし 屈辱に耐えて
強(したたか)に生きる」。
また、就任して凡そ一年かけて、全職員と面談し、ヒアリングをしました。組織の掌握と職員の融和が目的でしたが、理解を得るのに、大変な作業でした。特に、教育職等専門職の方々は、ヒアリングの意味を理解してくれていたかどうか、不明です。
自分自身が取り組んだ事業としては、融和と公平性の観点からの「一宮中学校体育館建設、各インターチェンジ周辺等の駐車場の有料化」。後継者育成のための、「インターネットを活用した授業の推進、三津基金の創設など」。教育環境を整えるための「保育園、小学校の統廃合、AIE国際高等学校の誘致など」。子供たちの情操教育の観点からは、「五斗長垣内(ごっさかいと)遺跡と岩屋にある松帆台場の整備、下司(くだし)大名行列と伊勢の森神社獅子舞の保護施策など」
また、阪神淡路大震災の後、復旧、復興の会議で故貝原俊民知事は、「これを奇貨として単なる復旧ではなく、創造的復興とするために夢舞台プロジェクト事業は凍結しない」と言明され、今の夢舞台群が在ります。その言葉で淡路市に託された未利用地、その企業誘致の売買不調から始まった各種事業は、今や島内外で34社を数えます。山本光学、東洋合成、パソナ、プライミクス、オリエンタル製靴、イレブンインターナショナルなどは誘致条件を多種多様に活用、何よりも職員のスピード感有る対応の成果でした。そして聖隷淡路病院誘致は産婦人科の開設に繋がり27年ぶりに淡路市で新生児が誕生しました。
地元経済活動と活性化の視点からは、「東浦道の駅フローラルアイランド整備、松帆の湯経営の継続、北淡震災記念公園を教育施設へと見直し経営の基盤を作り、パルシェを株式会社化して運営の推進を図りました。一方ONOKOROを市の条例上の都市公園として地元企業に運営委託し活性化を図るなど」と工夫を重ねてきました。
「いつかきっと帰りたくなる街づくり」の推進のため、何よりも安全安心施策に優先順位を整理して取り組みました。「志筑川放水路整備、県道津名上内膳線と国道の狭隘部分の拡幅、防災安心センターとグラウンドの整備など」です。これらの事業は、自分自身の歴史の集大成として出来たものでした。
また、全国的に財政指標の厳しい財政環境の中で、福祉施策の工夫をしました。
生活保護、子育て、教育支援などはもちろん、公共交通が手薄な対策として交通弱者を支援するためにあわ神・あわ姫号の市バス等を運行しました。そして通勤、通学者等のために駐車場を無料化。自転車等の通行確保と有事の対策として新船を造船、8月には淡路島の交通体系が整理出来ます。
市民意識高揚の施策としては、「ナイナイのお見合い大作戦テレビ誘致、兵庫デイオーネ誘致、各種カラオケ大会など文化祭や祭りには自分自身も参加し盛り上げました」
しかし、これらは素直に全てに受け入れられた訳ではありません。
反対のための反対、特定の目的を持った言動は、誘致企業の嫌悪感を誘い、江井給食センター未利用施設は未使用のままの結果となり地元住民の落胆の傷は深いままです。そして施策の大半は理解を得るまでに3、4年の月日を要し、正確な情報はなかなか伝わらないことも有りました。
市の財政の適正化のための行財政改革に至っては、かなり難しいものが有りました。市の職員の研修を目的とした「事業仕訳」に至っては、項目に上がっただけで他市からも注文が付きました。市民の税金をどう使うかの説明、行政の基本中の基本の作業に違和感を抱く言動は常識と倫理観の欠如以外に無いにしても、現実としてありました。
これらの事は想定の範囲内で、証左は二期目、三期目の選挙に有りました。「争点の無い選挙」とマスコミ等に揶揄された事々は、有意の市民の支援で何とか活かされました。
「市長になることだけが目的ではなく、なってから何をどうするかが重要」という主張が認められた結果でした。
あっという間に過ぎた10年、今年、後継者育成塾として場を創設した「門下市塾」の庭に、民家の小さな庭には禁じ手と言われている桜の木、染井吉野を植樹しました。反対していた友は合併10年、節目の今年に静かに逝きました。
小学校1年生の通信簿の通信欄に「潔癖すぎる」と私に書いてくれた恩師は、10年前の手紙の一節に「貴方なら出来る」と便りをいただきました。今は早く来年が来て、咲いた小さな桜の花を先生に見ていただくのが楽しみです。
いずれにしても、決められた15年、その残された5年の初年度に立ち、合併市の初代市長として思いを新たにしながら、次の事を実行します。来年、庁舎最後の増築棟の完成と集約化、そして北淡事務所等の改築と岩屋港周辺整備等で形をほぼ整え、火葬場、道路改良、改修不能な施設の整理などインフラ整備等の完成です。
もし時代の神様が居らっしゃるなら、歴史の節目に、私を初代市長に選んだ理由を聞いてみたい。
父母が逝った実家(門下市塾)に一人、快復は不可能と言われた脊柱管狭窄症を根性で克服し、残された闘いに備えながら、多くの先輩、仲間達の弔い合戦に、心を新たにしている10年目です
・面談
・住宅金融支援機構 住宅ローン軽減協定について。中止
・北淡飲食組合懇談会。さくま。シンコロにより中止
・専修大学野球部春季キャンプ歓迎セレモニー。佐野運動公園。山田教育長
・NHK大阪放送局見学。坂口企画情報部付部長。中止
・杉田水脈衆議院議員を育てる会。メッセージ
・貴景勝関化粧まわし贈呈式。県公館。山田教育長