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2021年05月29日

新型コロナウイルス感染症

兵庫県対処方針
 28日改定
 緊急事態措置実施期間 5月31日 →延伸 6月20日
 飲食店等への要請、施設の使用制限、イベントの開催制限の継続

・主な出来事(門 日誌)
・待機

・持続可能な花と緑のある暮らしの創造シンポジューム「環境・経済・健康・心の健康島づくりセラピーアイランドfrom夢舞台」
 歓迎の挨拶
夢舞台  14時~
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撮影:阪上政策秘書
この字の名付け親は、故貝原俊民知事さんです。
淡路島にも歴史の節目が夫々有りました。
1908年明治41年、洲本に鐘紡紡績工場が設置され、1市10町の形が出来ました。
2005年平成5年度には平成の大合併の流れの中で今の3市体制が整いました。
その間、なんと言っても、島の存在を決定づける、明石海峡大橋架橋が、1998年平成10年に供用されました。
そして、2000年3月18日に、県立淡路夢舞台温室、奇跡の星の植物館が開園しました。
9月17日まで184日間にわたって開催された博覧会、淡路花博、ジャパンフローラ2000のメイン会場としてでした。テーマは「人と自然のコミュニケーション」。当時の同種の博覧会の多くが失敗に終わる中、予定を遥かに上回り700万人もの入場を得られたのは、そのコンセプトと、何よりも、苦労していただいた辻本智子館長さん初め、多くのボランテイアのお陰と思っています。重ねて感謝を申し上げます。

そもそもこの夢舞台、関西国際空港の土取り跡地で、剝き出しの地面が放置され、酷い惨状でした。
時の知事、貝原知事は、カナダに在るブッチャードガーデン、石灰石の採石場跡に整備された庭園をモデルに、関空の土取り跡地の再整備を計画されました。

そして1995年平成7年1月17日、あの阪神淡路大震災が起き、私達も、淡路島プロジェクトは挫折かと覚悟を決めた時、貝原知事は時の御前会議で、「これを奇貨として、淡路夢舞台プロジェクトは凍結しない」と明言され今に繋がっています。

先ほど言いましたように百年前に吹いた風が、今、この淡路島北部に吹いています。
自然の景観を活かし、引き継がれてきた農畜水産物、そして日本一の生産量を誇るお線香や新たな産業などを起点に、福谷学先生が津名学で説かれた、「これからの淡路島の将来は、新生淡路市の双肩にかかっている。」という言葉に応えるためにも、「新時代の淡路」に向かっていかなければなりません。
今日のシンポジュームがその糧の一つとなることを祈念致します。

最後に、辻本先生のメッセージに感謝を申し上げ、淡路市を代表しての、お礼の言葉とさせていただきます。
有難うございました。

・出張何でも鑑定団。延期
・淡路地区人権教育研究会総会。中止
・津名盆栽愛好会「彩展」。中止