日記 « ラトビアからの便り | 活動報告のトップ | 喪中 »
2024年12月09日
阪神淡路大震災震源地
第10回全国被災地語り部シンポジューム ~Hオークラ 挨拶概要
*正確な情報をお伝えします。
語り部シンポジュームの開催、おめでとうございます。そして有難うございます。
淡路市長の門康彦です。阪神淡路大震災の震源地として知られています淡路市を代表して、ご挨拶を申し上げます。
30年ほど前、私は兵庫県庁土木部の総務課長を務めていました。
1995年平成7年1月17日早朝、神戸の中心への交通手段は陸海空全て駄目でした。
通行可能であった、新神戸トンネルを自家用車で抜けた時、実体験の無い戦場を見ました。加納町3丁目の交差点、一人警護していた警察官に災害本部に向かう旨を告げ、県庁にたどり着いた時、出勤出来ていたのは10名も居なかったでしょう。
当時、危機管理部の存在は無く、台風等自然災害の対応に慣れていた土木部が前線に立ちました。
翌日、他県の砂防課の職員の方が、寝袋一つ持って駆けつけてくれました。
若夫婦と子供の一家が全滅、年老いたご両親が残されたお葬式。出勤の為に阪神高速で亡くなった職員、等など多くの悲しみを背負いながら、不眠不休の復旧に誰もが努めました。
暫くたって、災害復旧に目途が立ち始めたある日の御前会議で、今、淡路市の一つの核としてあります、夢舞台の整備について、誰もが事業凍結を覚悟していた時、時の知事、故
貝原知事さんは、「夢舞台整備事業は、単なる復旧ではなく創造的復興のシンボルとするため凍結しない」と英断を下され今に繋がっています。
世界に知られた、「BUILD BUCK BETTER」の始まりでした。
自然災害にまず備える事は大事です。しかし、遭遇した後に、人の叡智を結集して、その体験を風化させずに後世に伝える事、そのことも大事です。
今日はその意味においても有意義なシンポジュームではないでしょうか。
情報を共有して、備えましょう。
阪神淡路から凡そ30年、ここに集う方々のご健勝にてのご活躍をご祈念申し上げながら、歓迎と、お礼のご挨拶とさせていただきます。
有難うございました。
・主な出来事(門 日誌)
・淡路広域水道企業団
・部長級会議
・面談
・県企業庁
・住村竜市朗選手 淡路市スポーツ親善大使が年末のご挨拶に来庁されました。
現在、修斗(シュート)ウエルタ―級 今年1勝利 来年の目標は3団体チャンピオン制覇
共に頑張りましょう!
・総務課協議
・北淡地区町内会意見交換会 淡路島ワイナリー
有意義な意見交換有難うございました。