かど 康彦 − 旅立ちの唄
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故郷淡路を想う   エッセー『故郷の雨』 巻頭言

 行間の密度という言葉が在る。 書かれている言葉よりもその言葉の裏の意味、また言葉と言葉の間、何もかかれていない空間に在る凝縮された意味とも解釈されている。
 時は三十数年前、所は京都、銀閣寺から哲学の小径を経て南禅寺、西下した鴨川の三条河原で学生とやくざの乱闘事件が有った。 祭りの宵で双方三十数名が入り乱れての派手な喧嘩で機動隊まで出動したが、当初、劣勢であった学生が勢いを取り戻してからの反撃は見事なものであったが、 その要因は作戦にあった。三条大橋から駆けつけるやくざに対して、一旦、御池大橋まで退却し体勢を立て直して迎撃したのであったが、 一人の先輩だけ下がらずに向かって行った者が居た。当然、怪我は大きく誤解の遺恨が残った。病院で彼は何も語らなかったが、 仲間が逃げたという思いをずっと持ち続けていた。一方、組織だって行動しやくざを蹴ちらした仲間達は、彼の行動に批判的であった。
 何年か後の再会時に、ある意味での誤解は解けたのだが、その時以来、私は「川の流れは両岸から見なければならない」という事に留意している。 派手なパフォーマンスで突っ込んでいった方か、冷静な情勢判断で下がった方か、答えの正解はない。
 それぞれの価値観で、見る方角で、視界が全く違う時が有る。川の流れは、まさに黙して語らぬ行間の密度そのものにも見える。
 さて、淡路島は鳴門と明石海峡の架橋そして本土導水により、物理的に島でなくなり、過疎、少子、高齢化の加速する地域です。 過疎、少子、高齢化を敵視する視点もあるがそれを逆手にとって未来を創造する方法も有り、量を質に変え高める事により展開を開く事が可能です。 冷徹な分析と冷静な作戦、そして高い志が必要です。
 故郷淡路の喫緊の課題、市町合併は、シジフォスの神話に似ている。誤解が誤解を生み混沌模糊としている。 私の合併についての意見に「局長の意見は悲観論」と言う人がいる。相手を懐で受け止める余裕が感じられない。 人間が儀礼として動物と違う特質である挨拶が出来ない人がいる。さらに自分と意見の違う人には、意識的な無視をする。寂しい文化である。 今こそは多様な視点と価値観、そして断固たる決意をする時であり、淡路の近い将来は今の行動にかかっている。高い志と、思いやりの行動を持たねばならない。